人の役に立つために生きる
私は17歳から人の役に立つために生きてきた。
…と言うと最もらしく聞こえるが、ただ、高校生の頃に受験勉強を怠って、どう生きていくかを常に考えてた時期があって、その時に熟考して決めたってだけのことです。
それは、富や名誉、名声のために生きるのか、つまり自分の私服を肥やすために生きるのか、それとも、人の役に立つために生きるのか、
自分はどうしたいのだろう?
考えた末に人の役に立つために生きることにした。お金持ちにもなってないくせに、なった後のことを考える変な奴でした。
そして、その後、人の役に立つために生きるということが、自分の中で具体的に定まっていき、テレビのドキュメンタリー番組を創る人になりたいという夢になった。
それは、さまざまな無名の人の人生にスポットを当て、どんな生き方考え方をしているのかを視聴者に観て知ってもらい、自分の人生を身の回りの狭い価値観ではなく、広い視点で見て、よりよい人生を歩むきっかけにしてほしいという考えからだった。
自分自身が、高校の頃や大学の頃に、周りの大多数の人が同じ大学に行くことを目指していたり、判で押したように画一的な就職活動をしていたりしていて、そこに違和感を持ってしんどい思いをしていたことから、既成概念を取っ払った自由な考え方を1人でも多くの人に知ってほしいと思っていた。
そして時は過ぎ、大学卒業間際に阪神淡路大震災が起こる。テレビに釘付けになり、高速道路が倒れたり、火事が続々と起こっていたりと、祖父母が暮らす街の変容を呆然と観ていた。
そんな中、テレビはバリバリとヘリコプターを飛ばし、リポーターは火事や半壊の建物を避けながら取材していた。
それを観て、全く人の役に立っていない。むしろ邪魔になっている。
非常時に、マスコミは無力だし、人を救えない、と心の底から思った。
それから、間接的に人の役に立つのではなく、直接人の役に立てていると実感できる仕事がしたいと思うようになった。
それを仕事としてするには、どんな仕事だろうかと2年半考え抜き、不登校引きこもりの支援の仕事をすることにした。
その後、何度か転職したが、「人の役に立つために生きる」ということは、今も何も変わっていない。
小学校教頭として子ども達の未来のために、ほとんど目には見えない形で、人の役に立つために尽力している。
今後も「人の役に立つために生きる」ということは揺らぐことはないと思う。
それだけ、信念を持って生きている。
自分の生きたいように生きるからこそ、人の役に立つことができる。
そう信じて生きている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?