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かけがえのない夢の時間

4〜6年の3年間、持ち上がりで担任となった。結果的に最初で最後の学年主任となった。

相方の担任は新任で、男性30代。企業の営業からの転職。何もわからないので一から教えなければいけない。ただ、とにかく前に進む、とてもいい人だった。結果的に2人で3年間担任することになった。彼には本当に助けられた。文字通り、苦楽を共にした同志となった。

1学期始めから毎日が勝負!崖っぷち!命懸け!だった。

上手くいくように、学年開き、クラス開き、黄金の3日間等、いろんな方法を試したが、噂どおり、1学期始まってすぐ、1日に何回もけんか(同学年他学年関わらず)、ルールを破る、けが、誰かが泣く、すねる、固まって動かない、など、あらゆるトラブルが続出した。

それはもちろん、自分のクラスだけでなく、隣でもトラブル続出するので、毎日、何度も何度も、指導した。個別だったり、クラス全体だったり、学年全体だったり…。

そんなことばかりしていると、授業が進まなくなってしまうので、生活指導のスキルはメキメキ上がって、時間をかけず、効果的な指導ができるようになっていった。

そんな子たちなので、授業もおもしろくないと、ついてこない。退屈しだして先生に怒られるようなことしてトラブル起こし出す。

だから授業も手を抜かず、惹きつけるスキルも上がった。彼らを担任した3年で、教師としてかなり成長した。(…と自分では思ってます。)

彼らを誰1人として見捨てず、苦情を言ってくる保護者もややこしい人だと切って捨てず、一緒になって子どもたちの成長に一心不乱に取り組んだ。その言葉に嘘はない。

最初の1年で彼らの魅力の虜になり、卒業まで受け持ちたい気持ちが強くなった。そして、希望通り3年間受け持つことができた。

大袈裟だが、本当に生きるか死ぬか、常に毎日、毎時間、崖っぷちの毎日だった。4年生担任をした最初の1年間は、疲れ過ぎていて、テレビを見ていていつの間にか寝てしまい、朝起きるという生活で、あまり布団で寝たことがなかった。

彼らとともに過ごした3年間は、生まれてから死ぬまで、おそらく一番充実した時間だったと思う。それは、今後はもうないんじゃないかと思えるほどだった。

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