「あの頃」を抉られる傑作青春映画「劇場」で奈落の底から光をみた。

いたいいたいいたいいたい。

過去の古傷がまだ古傷ではなく

生身の痛みであることに気づかされる

あまりに心を抉られる映画だった。

今回初めて公開作品をAmazon Primeで観たが

これは改めて劇場で観たい。

劇場で観るべき映画だと思った。

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(c)映画「劇場」製作委員会 出典:映画.com

又吉直樹の原作を今日の午前中に読み終え

心震えるままに行定勲監督の映画を観始め

その震えは更に深く広がる螺旋のように

拡大したまま潜在意識に沈殿していた

心の奥底の想い残しのカケラが漏れなく

隅から隅まで抉り出された。

今はただ放心のままこのエッセイを書いている。

又吉直樹と行定勲の2人が互いの比類なき特性を

存分に生かし切った

過去に今に未来に心に葛藤を抱える

全ての世代とっての青春映画の傑作だ。

そして原作とは違う行定勲監督らしい

クライマックスからラストシーンは

映画と舞台の特性を生かし

素晴らしく効果を上げていて

その余韻は今でも続いている。

この場面を観るだけでも私は映画館に足を運びたいと思った。

この映画は多くの人にとって

きっと長い間、目を背けていた

見たくない自分の中に潜むある感情を

無理やり見ることになる残酷な映画だ。

この映画を観て

他人事で終えられるようになった時

それを大人になったということなのか。

ならばきっと私は、命閉じるまで

そのようには思えないのではないかという

ある種、絶望感に満ちた感慨が

今も尚、心に渦巻いている。

しかし

それこそ本当に生きるということではないのか。

下北沢の風景を目にして数々の情景が浮かんだ。

昔、宮藤官九郎さんに初めてご挨拶したのは下北沢の本多劇場のロビーだった。

その時の緊張を思い出す。

そこに到達した人でないとわからない壮絶さが

もう自然の日常になっているかのような迫力を

感じて圧倒されたのを覚えている。 


山崎賢人と松岡茉優の2人の演技が素晴らしかった。

私は関西人ではないので正確な判定はできないのだけど

原作の関西弁と映画の標準語との微妙なアンバランス感を保とうとしたか行定監督の演出の狙いはわからないが

山崎賢人の棒読み台詞とエセ関西風イントネーションに違和感を持ちながら見続けていた。

ただそれはやがて段々とこの作品の沈滞するやりきれなく逃げ場の無いムードと浸食しあったのか

それとも彼の独白ナレーションのトーンがこの作品の文学作品的な趣きと合っていて

それが日常台詞でも反映しているような感覚になり

最後はこの地上から5センチ浮きながらも現実を血みどろで浮遊し続けるこの永田という男にはしっくり来ているようにも感じた。

まあどうしようもないクズ男である。

そのクズが創作を通して宝石になるのかどうか

彼を心底信じ愛した1人の女性を幸せにできるのか

それは映画を観て欲しい。

ただあまりに自意識過剰と身勝手さと横暴さを

松岡茉優演じた沙希に反省なくぶつけ続ける彼の姿を

見続けるのは正直とてつもなく胸糞悪いものだった。

ただその彼の感情の根っこにある渦巻く嫉妬心には

哀しいかな私は100%共感してしまった。

そしてこの映画を傑作足らしめているもう一つの要因。

それは松岡茉優という同世代で抜きんでた演技力を持つ底知れぬ女優の

もてる感情の全てをつぎ込んだであろう心掻きむしられるような迫真の演技だ。

永田という男と出会った不運な女性とも言いたくなるが

それは本人は否定するだろう。

そんな沙希を演じた松岡茉優の

彼との出逢いからその行く末までの

汗や毛穴から全ての喜怒哀楽が染み出るような

彼女の心揺さぶられる演技を是非存分に体感して欲しい。

しかしこの映画は本当にきつい。

きつい。いたい。やるせない。苦しい映画だ。

夢を追うことで現実がこんなにも苦しくなるのなら最初から夢など追わずに

自分を心底愛してくれた女性を幸せにすることに舵を切ったならば

そこにどんな景色が待っていたのだろう。

それは創作の魔力に取り憑かれた者にとっては敗北の2文字でしかないだろうが

このコロナ共生時代で舞台にも立てず

日々生活もぎりぎりの状態で夢を追う

多くの役者や舞台人に想いを馳せると

1%の夢を追うための99%のあまりに厳しい現実に

耐えうる時期はあまりにも過酷なものだと思う。

この映画は今そこにある眼前の危機として

進むか退くかとぎりぎりで心の中核と向き合っている全ての夢追い人にとって

あまりにも痛く深く刺さる映画となっていると思う。

この作品で繰り返し永田が呟く台詞がある。

「いつまでもつのだろうか」

今となってはあまりにこの言葉を持つ意味は深く、そして重い。


又吉原作では前作の「火花」でも夢と現実と挫折に満ちたほろ苦く

ほとんどは痛々しい10年の芸人生活を魅せてくれるが

当時私が映画「火花」を観たのはM1グランプリを観た翌日だった。

「火花」には成功の瞬間の眩い光の影に隠れた

芸人の過酷な日常が優しく描かれていたのが印象深い。

M1チャンピオンたった1組の後ろには

敗れ去った4000人以上の芸人たちが

明日をも知れぬ夢に生きているのだ。

板尾創路が監督であるからこそその眼差しは鋭く、そして温かかった。

一部の成功者だけをもてはやす風潮はいつの時代でもあったけれど最近は余計甚だしく

そしてその成功者という概念もまた

移ろいやすく、脆い。

そんなことを考えていたら

ここに書くことすら不謹慎なことではあるが

三浦春馬さんのことが頭から繰り返し

「なぜ?」という問いかけが離れない。

誰もが夢見る成功に至ることは

それは全て夢でバラ色という虚構の概念を

簡単に打ち崩すような他の人には想像知れない苦悩があったことなのだろうか。

成功という光を抱きながら生き続けることもまた

並大抵ではない苦悩との共生が宿命となるのかもしれない。

第一線の夢に生きるというのは果たしてどれだけプレッシャーや重荷があるのだろうか。

そこは凡人の私には計り知れないものがある。

でも夢の渦中から全てを投げ捨ててでも

生きていて欲しかった。

心より冥福をお祈り申し上げます。


きっとどんな人生を生きたとしても

成功も一瞬の花火。

人生も一瞬の花火。

そして人生の大部分は社会に成功というレッテル貼られた者であろうとそうでなかろうと

普通の営みをただ必死に生きている。

私も夢という虚像を追いかける99の不安と1の幻想で生きる日常を少し体験したことがある。

20代の時、会社を辞めて夢を追う為に専門学生に戻った。

スクリーンの向こう側の世界に行きたかった。

貯金を全て切り崩し、保険全てを解約して生活費に充て新婚時に住んでいたマンションから家賃4分の1の築40年のアパートに越した。

長男が生まれて4か月の時だった。

あの時私の愚行を許した妻のことを今思うと

不思議で仕方ないが心から感謝している。

今はただ恩返しをしたいと思っている。

それから3年後、全財産は最早尽きて

もうこれまでと思った時に

数十年ぶりにプロデューサー募集していた映画会社の告知を山手線のつり革で見つけた。

締め切り前日に無理もとで履歴書を送った。

半年後、夢の景色は現実の日常となっていた。

スクリーンの向こう側の世界には

その世界で日常を送る普通の人たちが生き

憧れの俳優が普通に隣にいて等身大で悩みを語っている。

幻想と現実の地続き感。

絶え間なく続く喧騒の日々。

そして月日が流れ、私はそこから離れた。

それもまた人生の一部。

でも過去形で人生を語ることに意味はない。

なぜなら、まだ人生は続いているからだ。

わかりやすい成功という名の花火は消えても

心の中でちらちら燃え続ける火花は自分以外

一生消すことはできない。

自分の人生の完成形は

死ぬ時に完成していればいい。

「火花」と「劇場」という2作品は

ある非常に痛々しい期間を描いている。

でも人生はその先も続いている。

又吉直樹という人の優しさであろうか。

どちらの作品にもラストにかけて

夢の果てに仄かにチラつく

優しい予感に満ちていた。

ただこの「劇場」を観終わった後

私はひとつ自分が変わっていることに気づいた。

映画「劇場」で夢を追う永田という男の戯言を

あまりにピュアに信じた沙希の心の傷みを考えると

もう今まで語っていたことを全て撤回して

永田を全否定してでも、松岡茉優が演じた紗季には私は幸せになって欲しかった。

そんな感覚を全く関係ない私が心の奥底で勝手に感じながら

拭い去れない同質性を感じた永田が恨めしかった。

この映画はやはりあまりに松岡茉優が素晴らしい。

本当はこれ一言で良かった。

あの男に全てを捧げた彼女が体現した痛みを

怒りをもって後悔を持ってどんな感情になるのか

男女問わず感じきって欲しい映画だ。

その上で

あなた自身の夢を追いたいなら追えばいい。

あなた自身の愛を追いたいなら追えばいい。

やっぱりそうだった。

私には絶対に失いたくないものがあった。

その上位に夢がくることは無いと悟った。

この映画を観たことで改めて

己の夢との向き合い方に決着をつけられた気がする。

「私と愛する者の幸福感を最大化する」

これが今の私の夢を超える大きなテーゼだ。

その上であとは命ある限り夢に進めばいい。

あがいて、もがいて、絶望して

奈落の底に堕ちて、夢も希望も失っても

見上げるとやっぱり光の糸があった。

そこを辿っていけばいい。

本当の人生の劇場は

たった今、幕が開いたばかりだ。


世界に愛を届けるシネマエッセイストのクワン Q-Oneです。皆さまにとって、心に火が灯るような、ほっこりするような、ドキドキするような、勇気が出るような、そんな様々な色のシネマエッセイをこれからもお届けします。今年中に出版を目指しています。どうぞ末長くよろしくお願いします✨☺️✨