ビデオゲーム(死語だなぁ)というものを教えてくれたコンテンツのひとつとして、FF7は僕にとってそれなりに愛着あるゲームです。少なくとも数々のスピンオフに手を出すくらいには好きでした。 それがリメイクされるって知ったときには……まぁ正直そんな期待してなかったんですな。いい感じだったらいいな、くらい。 実際やってみると期待以上。ストーリーもゲーム性もグラフィックも音楽も、どれをとっても最高で、傑作といって差し支えない代物でした。 リメイクとしての理想をやってくれた。そう思ってい
アーマードコアの年でしたね。 毎年やってるこのnote、一応映画のランキングがメインなんですが、まあアーマードコアの年でした。しょうがないじゃん。 今もサントラ聞いてます。『Contact With You』『Steel Haze(Rustesd Pride)』あたりがお気に入り。今回のはFreaquencyっぽさが抜けて世界観に合わせた感が強く、それはそれで良しと思いつつ、少々寂しさを感じつつ、だからといって『Stargazer』が好きかと言われれば実はそんなこともないオ
■ 樋口真嗣のパンツ理論、というのをご存じだろうか。 宮崎駿:パンツを脱ぎそうで脱がない 庵野英明:パンツを脱いだら変なものが付いていた 押井守:パンツを脱いだら偽物が付いていた なんのこっちゃかと思ったかもしれない。 これは映画監督:樋口真嗣が提唱した理論(というか冗談)なんだけど、要はあの辺の映画監督がどれだけ作品に自身を赤裸々に反映してるかってことを表してるわけだ。なんとなくわかるって人が多いんじゃないだろうか。 ちなみに富野は「パンツも何もかも脱ぎ捨てて全
僕がゲームの中に物語を感じたのはFF8が最初だった。 そこにはキャラクターがいて、世界があって、状況とドラマが連続し、一連のお話があった。そしてそれらは、テキストによって繋がれていた。 ファミリーコンピューター以降のテレビゲームは映像も音もある総合芸術のメディアとして一般に認知されていたけれど、それでもフィクションを表現するのに満ち足りていたわけではなく、それゆえ物語を紡ぐものとしてテキストは大きな役割を持っていた。 あの頃の物語は言葉だった。 いつしかそれは文化的な
いや……驚きました。 なにが? ミーガンちゃんがかわいいんです。 基本的にぼくが映画館行く基準っていうのは、 ・予告が面白そう ・多少信頼している人が評価している のどちらかを満たしたとき。 なんですが今回はちょっと特殊で、たまたまTwitterで例の「ミーガンダンス」を見たことがきっかけでした。ミーガンの中の人をやっている人がカメラに向かって踊ってるやつです。 なんか妙に魅力的なダンスだったもので、これが映画の中にあるんなら見てみようかな、と。 前情報はほぼそれだけ。あと
■ 賛否両論ですなぁ。 賛否両論なんてのは大抵は賛が勝ってるもんですがどうも今回は本当に賛否両論って感じ。否定派の声がでかいってのもあるでしょうが。 僕は結構楽しめたんですよ。 というかかなり。 少なくとも『シン・ウルトラマン』よりは随分ノれました。 『シン・ゴジラ』ほどじゃないですが。 だから否定派の多さに驚きました。 あ、そんなダメっすか。 みたいな。 じゃあせっかくだしどこがよくてどこがダメなのか言語化しとこうかと思いまして筆を走らせている次第。 「エブエブ」の
■ 僕の感想文というやつは、物語の内側よりも外側に目を向けていることが多い。 つまり「あのキャラが好き」「あのシーンが好き」とかよりも「ここの演出が効果的だった」「あれはメディアとしての特色を活かしている」みたいな話が多い、と思う。それにゲームそれ自体よりもゲームから抽出される一般論みたいなところを語ったりする。 理由としては自分の感情的な面での感想を言語化することにあまり意味を感じていないのと、俯瞰した感想を残す人の方が貴重だと思っているからだ。 ただ今回はちょっとセンチ
■ 特にインターネットが生まれてからというもの、Co-opができるゲーム自体は枚挙にいとまがないけれど、往々にしてそれはCo-opもできる、でとどまっています。 つまり協力はできるが協力しなくてもできるという温度感。ある意味そうなるのは当然で、プレイヤーごとに個別の役割を定めてしまうとプログラム外の「生きている人間」をゲームに組み込むことになり、攻略難易度が協力相手のプレイヤースキルに大きく依存してしまうから。こうなるとゲーム体験が製作陣のコントロールを大きく外れることに
はっきり言って田舎が嫌いだ。 もう少し言うとフィクションの中での「田舎特有の~」な描写が我慢ならない。なんていうか異様に距離感の近い人間ばかりで、そいつらは往々にして人間関係の中にしか生きがいを見出せず、みんなゴシップ臭い話題が好きで、倫理的道徳的な面で遅れていてっていう…。 なんていうか、もう、 いいとこないじゃないですか田舎の人間って。 いやフィクションの話ですよ?実際の田舎の人がどうかは知りません。 とにかくそういう人間の描写が挟まるたび、それが小説だろうが漫画だろ
世界の上澄みを生きている。 降り注ぐ血を浴びながらそう思う。 いつからだっただろうか、太陽の光が差さなくなったのは。 いつからだっただろうか、血の雨が世界を朱く染め上げ始めたのは。 あれは恵まれなかった人の血。選ばれてしまった人の血。 戦争とか犯罪とか虐待とかいじめとか、とにかくそういう薄暗いものに近い人からああして血の雨になって空から降り注ぐようになっているとか、なんとか。 戦争をしていた国の人たちはほとんどいなくなってしまった。 治安の悪い国の人たちは治安が改善された反面
猫を飼っている。名前は知らない。そのときどきで好きなように呼ぶ。 「ちょっと」とか「ねえ」と呼びかければ基本的には猫も気付く。「おい」と呼びかけた方が反応は良かったりする。 家には僕と猫しかいないから、正味それで問題ない。 多分懐いている。きっと。そこそこ。 猫の気持ちなんてわからないから、勘。他人の気持ちは推し量ることしかできないけれど、猫の気持ちは想像すら難しい。 でも人間と違って素直なので思考がそのまま行動に出ているように見える。だから擦り寄ってきて頭を僕の手に擦り付
右手ばかりが冷えていく年末、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 (この現象毎年なるんですけど僕の身体が歪んでるんですかね) 2022年終わるの早い……ってつい言いそうになっちゃうんですが、別に2021年も早かったし2020年も早かった気がします。要はもう時間感覚がそうなっちゃってるわけで、早いことなんてわかりきってるんですな。だからこう、いちいち早い早い言うのもなんだか芯食ってないというか、言うたびにつまんねーこと言ってんな自分と思うようになってきました。 まあインスタント
インドって多分デッケぇ。 インドって多分アッチぃ。 よく知らんインドという国に漠然とそんな印象を抱いているのはぼくだけじゃないでしょう。人口が14億いるとか、カレー発祥の国だとか、ヒンズー教だとか。ぼくらはインドをそんな情報でしか知らない。そも実際そんな暑くはないし。 インドのスピリットというものに、まったく不知でいるぼくらだけど。 今、それは映画館の中にある。 映画館の、シアターの、スクリーンの中。 インドは『RRR』の中にある。 舞台は1920年、英国植民地時代のインド
筆を運ぶ。 ゆるやかに、想うままに。 筆はただの道具。 だから、想いに応えたりはしない。 けれど、筆を扱う動きはなるたけなめらかに、まるで身体の一部のように。 しなやかに濡れた脂を含む毛先。 少しひび割れた石膏の柄。 筆を支える手、運ぶ腕。 自分の頭の存在を忘れて、こころをそのまま穂先へ伸ばす。 上へ。 下へ。 右へ。 左へ。 奥に。 引いて。 廻って。 うねって。 人らしい連続的な動きを、 機械のように正確に、 洗練された動作で、 反復的に、 再帰的に、 何度も、 何度も。
ホラー、と聞いてまず思い浮かべるもの。 まあ日本人だったら多分幽霊だろう。欧米やヨーロッパだったら悪魔かな。東アジアだったら、なんか儀式的なオリエンタルっぽい怪異だったりするのだろうか(『呪詛』面白そうですよね)。 じゃあ、宇宙人とか、どうだ。 最初は「いやいや…」と思うかもしれない。なんだか宇宙ってテクノロジーの領域っぽくて、そういう非科学的要素との相性が悪そうだから。 んが、実はそんなこともないというのはあの有名なドラマ『X-ファイル』が示している通りだし、別の文脈で発達
やりました。 DEATHLOOP。 出た当初メディアレビューの評価が軒並み高くて興味はあったんですが、PS5かPCからしか出ず、もってねえよンなもんとブチ切れて買わなかったのも今は昔、ゲーミングなPCを購入したタイミングでSteamサマーセールが来たんでこれ幸いとばかりに飛びついて買ってしまいました。 なんかこの導入どっかで書いたな。 さて、ストーリーのあるFPSというのは日本人にはあまり馴染みないものだと思います。実際ぼくもなかったし、ちょっと敬遠してる節すらありまし