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雨が降る

「血が意味するものは死だ!かいば桶にあふれた血……」
「死じゃないわ。あなたは毛虫が繭に入るのを、死だと思う?」
リック&シルヴィア/この卑しい地上に

世界の上澄みを生きている。
降り注ぐ血を浴びながらそう思う。
いつからだっただろうか、太陽の光が差さなくなったのは。
いつからだっただろうか、血の雨が世界を朱く染め上げ始めたのは。
あれは恵まれなかった人の血。選ばれてしまった人の血。
戦争とか犯罪とか虐待とかいじめとか、とにかくそういう薄暗いものに近い人からああして血の雨になって空から降り注ぐようになっているとか、なんとか。
戦争をしていた国の人たちはほとんどいなくなってしまった。
治安の悪い国の人たちは治安が改善された反面、国が回らないで困っているらしい。
2つ隣の家に住んでいた家族はいつの間にか消えていた。
どれが理由かは知らない。
5歳の子供を虐待していたのかもしれないし、なにか法に触れることをしていたのかもしれないし、ひょっとしたら実は武器商人で紛争地帯に武器を売っていたのかもしれない。
そんなのとなにも関係なかったのかもしれない。
よくわからない。
そんなよくわからない人たちの命が空に昇って、こうして降り注いでいる。
神様は狂ってしまったらしい。

お母さんはこんなことを言う。
「あんたたちも気をつけなさいよ。悪いことするああなっちゃうから」
お父さんはこんなことを言う。
「なるときは誰だってなるだろう。行雲流水だな」
お兄ちゃんはこんなことを言う。
「罰みたいなもんでしょ。なったら自業自得」
犬はこんなことを言う。
「わん」
どれもしっくりこないけれど、あえて共感するなら犬だろうか。

あるときクラスメイトが血の雨になった。
大きなリボンが特徴の子だった。明るくて気が利いて、みんなに愛されていたほどではないにしろ、嫌われるってことはなさそうな子だった。
その子は授業中に突然いなくなり、しばらくすると血の雨が降った。
赤く染まる教室の窓に、濡れたリボンが張り付いていた。
「あの子はなんで雨になってしまったのでしょう」
教壇に立った先生が言う。
みんなで頭をひねって考えた。
実は悪いことをしていたのだろうと考えた。
悪いことって何だろうと考えた。
「答えは先生にもわかりません」

夜になると電気がついている家は少ない。
街灯だって消えてしまう。
代わりに夜の間だけ空は晴れる。
月が世界を照らして、星が瞬く。
昼間より明るいかもしれない。
「夜は悪い人の時間だった」
お父さんが言う。
「いまは悪い人はいない。だから晴れるんだ」
なにが"だから"なんだろう。
意味は分からなかったけど、晴れた星空は綺麗だと思った。

「血になってはいけません!」
街中には大声で叫ぶ人がいる。
「血は悪しき心が生むものです!」
「悪しき心を持つものには天罰が下ります!」
「血の雨は神が下した天罰なのです!」
似たようなことを色んなことばで言っている。
そんな大声を出さなくても聞こえるのに。
そういえば、血の雨になりましょう、って言ってくる人はいない。
とっくに血になって降り注いでしまったのだろうか?

近所に山がある。山なので木が生えている。
生い茂っている、というほどたくさんは生えていない。
むしろ元気がない木ばかり。
「血の雨の影響だよ」
向かいのおじさんが言う。
「理屈は知らんがね。これだけの量の血の雨が降って植物に影響がないわけないだろう?科学には明るくないが、道理から言ってそうに決まっている。血が植物を殺しているんだ」
口調は強いくせに、なにも信用できない。
観葉植物にじょうろで水やりをしながら、息苦しいのは木が少ないからだろうか、なんて考えた。
おじさんに聞いたりはしなかった。

行きつけのコンビニが潰れていた。
近所のスーパーが潰れていた。
家の前の自販機が壊れていた。
「ごはん、どうしようか」
お母さんが頭をひねらせる。
「缶詰はまだあるだろう」
お父さんが返す。
「でももうほとんど残ってないのよ」
お母さんが返す。
「他にないなら仕方ないんじゃないの」
お兄ちゃんが言う。
結局最後の缶詰を開けてみんなで食べた。
犬の分はみんなで少しずつ分けてあげた。

家にいたって仕方がないので外に出る。
外に出たって仕方がないので家にいる。
おんなじことなんだと思う。
外に出ると犬が着いてきた。犬にだってなにに着くかの自由はある。
朱い傘をさして練り歩く。
朱いビル。
朱い道路。
朱い駅。
朱い病院。
朱い学校。
朱い車。
朱い森。
朱い郵便局。
郵便局は元から朱かったっけ。

海にはなにもない。
海だけがある。
浜辺は朱く湿っていたけれど、海は別に朱く染まってたりはしなかった。
海はただ海としてそこにある。
「あうん」
犬が鳴いた。最近はわんとは鳴かない。
ポケットからサンドイッチを出した。
半分に割って犬と分けた。
ハム、レタス、チーズ。
潮風の香り付き。
今日の天気は曇り。時々雨。
みなさん、傘は持ち歩きましょう。

歩いている場所は知らなくても、染まった朱色で、そこが空の下にあることはよく分かる。
傘をさすのはやめてしまった。犬の声も聞こえなくなった。
お腹も空かなくなった。
ご飯を食べるのは好きだったと思うけど、食べる気がないのなら食べない方が楽だなとか思って、そんなの当り前だなと思った。
髪はべとべと、体はへとへと。
視界もかすんで、脚だけが勝手に動いている。
どこをどう歩んだかは覚えていない。
途中人の叫び声が聞こえた気がする。
同じように歩き回る人がいた気がする。
身を寄せ合って動かなくなっている人がいた気がする。
どれもが"気がする"に収束して、過去か現在かおぼろげのまま。
ひょっとしたら未来かも。
未来ってなんだろう。
ぼやけた視界が朱く染まる。
お父さんかな。
お母さんかな。
お兄ちゃんかな。
もちろん、犬かもしれない。

天にも昇る気持ちだ。
そう最初に言った人は、天に昇ったことがあるのかもしれない。
天に昇りながらそう思う。
身体はどこかへ行った。
心もどこかへ行った。
ただ漠然と、ここに在る感覚だけが残った。
ここが、昇っていく。
空へ向かって。
世界が見える。
朱いな、と思った。
思ったほどではないか、とも思った。
ここが、ほどけて。
するりととけて。
ひろがって。
おちる。
おちていく。
じゆうだ。
ぜんぶがうしろにきえていく。
ここに在る感覚もとけていく。
そしていつか。
きっといま。
はじけて。
きえた。

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