見出し画像

洋ゲーの洗練

道を知っていることと、実際に歩むことは違う

モーフィアス/マトリックス



やりました。
DEATHLOOP。

出た当初メディアレビューの評価が軒並み高くて興味はあったんですが、PS5かPCからしか出ず、もってねえよンなもんとブチ切れて買わなかったのも今は昔、ゲーミングなPCを購入したタイミングでSteamサマーセールが来たんでこれ幸いとばかりに飛びついて買ってしまいました。

なんかこの導入どっかで書いたな。

さて、ストーリーのあるFPSというのは日本人にはあまり馴染みないものだと思います。実際ぼくもなかったし、ちょっと敬遠してる節すらありました。個性のある主人公で一人称て、みたいな。何ならちょっと小ばかにしてたかも。だめですよそんなことじゃ。これめっちゃいいゲームです。

まずはどんなゲームか説明するところからいきましょう。



俺の名はコルト。ぼんやりとしちゃいるが、どうやらコルトらしい。目覚めるとそこは浜辺で、周りにはビンやら銃やら転がっていた。まさか俺は今までの記憶が全部飛ぶほど呑んでたんじゃないだろうな。
いや、違うみたいだ。
拾った通信機で話しかけてきた女——名前はジュリアナ——にぶっ殺されて俺はまた浜辺で目を覚ますことになった。彼女曰く、1日がループしているとか。意味が分からんが、たしかに殺されたはずの俺が生きていることや、別の時系列の俺自身と会ったりしちまったからにはとりあえずはこのクソッタレな現実を受け入れるしかなさそうだ。
受け入れるだって?ちくしょう、冗談じゃない。
俺は必ずループを破ってここから脱出する。理屈は抜きにして、同じことを繰り返すだけの日々(いや、1日か。どうでもいい)なんてまっぴらだ。
情報によると、ヴィジョナリーって連中(俺の知り合いらしい、記憶にない)を8人全員ぶっ殺せばループから脱出できるそうだ。
1日で8人?クソッ、やってやるさ。
さあ、ループを破るぞ。



はい、そんな感じ。
つまりはループもの。同じことを繰り返しながらループからの脱出を目指すゲームです。
んで、この設定に絡めたゲームのデザインが大変によろしいのですね。

ではどんなゲームシステムなのか。
こんなゲームシステムです。

  • ゲームはとある1日を繰り返しながら進行する

  • 1日は「朝」「昼」「午後」「夜」の4ターンからなる

  • 1ターンでプレイヤーは4つのステージうち1つを選んで攻略する

  • ゲームの最終目的は8人のヴィジョナリーを殺すこと

  • ヴィジョナリーがいつどこにいるのかは攻略しながら知るしかない

  • つまり

  • 1ステージ×4ターンの行動制限の中で8人のヴィジョナリーを殺せ

わかりにくいかな。
つまるところ大枠のゲーム性はある種のパズルに近いです。
8人殺さないといけない。1ループ内では4ターンしか行動できない。
なんとかして1ターン内に複数人殺す方法を探さなきゃいけない。
どーすんの。的な。
「シナリオを進める」というよりは「ループを繰り返しながら正解を探す」が近いです。
まずこれが良いですね。

多分設定じゃなくてゲームデザインというかコンセプトが先にあるんでしょうけど、ある一定のサイクルを繰り返す、というゲームの文法をうまいことインゲームに落とし込んで意味を持たせていることが好印象。
さらに、この繰り返しも複数のタスクを並行して行うことが可能なんですね。
例えば、あるヴィジョナリーを殺害するついでに別のヴィジョナリーの調査を進める、みたいなことができます。
文面で見てもだから何だって感じでしょうが、この辺はわかってるな~って感じがしました。効率よく物事を進めるって快感があります。まあやってみてくださいよ(説明放棄)。最後の1日でヴィジョナリー全員を殺すのは、なかなか得難い爽快感がありました。

さらにプレイングの気持ちよさがあります。個人的意見ですが、PvEのFPSって単調なプレイになってしまいがちなんですよね。それはひとえに"魅せる力"の弱さにあると思うんです。主人公の視点しか見れないんで、原始的な「敵を倒す」「吹き飛ばす」みたいな快感に寄るしかない、のかな~って愚考してるんですが。
しかしこのゲーム、その辺うまいこと工夫されてます。
例えば、敵の装備やギミックを利用して敵を倒すという行為。みなさん好きですよね。敵にも味方にもダメージ判定があるギミックにわざわざ誘導して倒したりしますよね。このゲーム、割とそれがプレイの根幹に近いところにあります。ステージに敵のタレットや地雷が多数設置されててそれをハッキングして味方にできるんですよね。こりゃあ……いいぞ。
他にも敵のダメージを強制的に共有させるスキルで1ショットで一網打尽にできたりとかなかなかテクニカルなプレイができるのがかなり楽しかった。前述した大枠のゲームサイクルもそうでしたが、ざっくり言うと「自分がうまいことやっているから効率よく事が進んでいる」というツボの抑え方が非常に上手い、という点がこのゲームの素晴らしい部分だと思います。
それらを支えるゲームバランスもいいですしね、回復や弾薬のリソースがふんだんなこととか、ステルスかドンパチかどちらでもいけるようになっていることとか。


洋ゲーってやつは制作過程がゴリゴリに決まっていて、基本はそのレールに沿ったクリエイティブになります。そこがディレクターの権限が強くてなんでも決められる日本と違うところで、合理的で、ビジネスライクなんですよね。でも、そのプロセスの中で発達したものだからこそゲームデザインには洗練を感じますし、純粋にゲーム製作レベルの高さ、そのパワーが前面に出たゲームになってます。総合点が高いというか。
ストーリー、アクション、テイスト、サウンド、競技性。総合芸術であるゲームはあらゆる視点からの評価ができますが、それらの複合として、その研鑽の先にあるものとして、現時点でのマスターピース足りえるゲームだと、僕は結論付けます。




最後にもう1つ。
これはだいぶ個人的な感覚ですが、自己批評性があるのがいいです。
同じサイクルを繰り返すこと、快感原則を追求し続けること。このゲームは、その「ゲーム的」な要素をハイクオリティに達成しつつも、それを皮肉ります。近年の作品にしては短めにまとまってるのはその辺に理由があるのではないかとぼくは思うのですが。
こういうメタ的な意図に目がなくて。メタに意味を持たせられるのがゲームですから。


楽しいゲームでした。言ってしまえばそれまでなんですが、楽しさに対する洗練ってのは重要です。ゲームってもともと楽しさのためにあったものですから。
だから多分、ゲームは変わらないです。一定のサイクルを繰り返すこと、快感を生産し続けること。それは変わらない。
もし変わるとしたら、それには多大な痛みが伴うことでしょう。変わった結果、望まれるものが生まれるとも限りません。
ぼくらはどちらを選ぶでしょう。
ストーリーのラスト、ジュリアナのカウントダウンが終わったときあなたは引き金を引けましたか?ぼくらは、円環の破壊を選択できましたか?
それが答えだなんて短絡をする気はありません。
でも、見せつけるのではなく体験させるという手法で、このゲームはなにか与えてくれたのではないかと、そう思うのです。

(画像引用元)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?