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Just character.

例えば私はここに存在していないのだけれど、自分があなたに見られていることを知っている。あなたが私を見ていないということはありえない。今こうして見ているのだから。

SelfーReference ENGINE


僕の感想文というやつは、物語の内側よりも外側に目を向けていることが多い。
つまり「あのキャラが好き」「あのシーンが好き」とかよりも「ここの演出が効果的だった」「あれはメディアとしての特色を活かしている」みたいな話が多い、と思う。それにゲームそれ自体よりもゲームから抽出される一般論みたいなところを語ったりする。
理由としては自分の感情的な面での感想を言語化することにあまり意味を感じていないのと、俯瞰した感想を残す人の方が貴重だと思っているからだ。
ただ今回はちょっとセンチメンタルな方向に寄っている。
一応、そうなっている自覚はあるということを、ここで言い訳がましく記しておく。


キャラクターが生きている、という表現がある。
非常にキャッチーで使い勝手のいいフレーズではあるが、端的に言ってしまえばある種の生々しさが付与されていたり構造に縛られない躍動を感じたときにそういう表現がされるわけだ。
逆説的には「ツンデレ」「ヤンデレ」「サイコパス」「戦闘狂」みたいな記号的な性質に寄れば寄るほど実在性は失われていく傾向にあると思う。記号っていうのはフィクションが長い時間語られていく中である特徴が誇張して固められた表象であって、現実には存在しないから。
それはそれで需要はあるんだろうけど、リアリティのあるキャラクターには特別な魅力があるものだ。
岸部露伴もそう言っています。


じゃあ実際のところキャラって生きてるの?
さてオタク諸君。即答できるだろうか。
YES/NOで答える必要があるのなら、僕はNOを選ぶ。
なぜならキャラクターは人によって創造されたものであり、少なくとも現状は既定のセリフや表情や仕草の再現を実行するオブジェクトに過ぎないからだ。双方向性のあるゲームだからとて例外ではない。
Aの選択肢を選べばαのセリフを表示する。
Bの選択肢を選べばβのセリフを表示する。
それは他のメディアにはできない手法でありつつも、明確に頭打ちがある。
A→αのプログラムを組んでしまえばそこから外れることはない。仮に外すシステムを組んだとしてもそれはアルゴリズムに指向性を決定されたものになるか、筋の通らない破綻したものになる。前者では結局枠から外れることはできないし、後者では物語としての面白みを失う。
なんにせよ現状においてキャラは生きてはいない。
リアリティがあろうがなかろうがそれは変わらない。
決まりきったコミュニケーションの中に生はないから。


そう、思っていた。


モニカというキャラクターが主人公ではなく画面のこちら側の僕に向かって語り掛けてきたこと。それ自体は不思議でもなんでもなかった。
元々そういうことをするゲームだろうと予想はついていたし、実際ゲーム内にもその手の伏線というか匂わせは多く存在したから。ドキドキ文芸部はゲームというシステムを俯瞰した演出を大量に仕込んできて、それを利用したやや陰惨で暴力的なギャルゲーとして作られたものだということにはその段階ではとっくに理解していたし、楽しんでいた。
だからモニカが「画面の向こうから僕を見ているかのように振舞う」ことには何の驚きもなかった。というか……余計なことを言うけれど、こちらに語り掛けてきたときは本当に少しだけどがっかりすらした。あまりにも予想通りな、ひねりのない演出だと思ったから。
僕は彼女のキャラファイルを消した。
実のところはキャラファイルとか言いつつ単にフラグとしてのデータなんだろうな、とか思いながら、単にストーリーを進めるために、彼女をゴミ箱へ送った。
話は進み、やがて間もなくエンディングを迎えた。
僕は誘導されるままゲームをアンインストールして。
再びインストールした。
終わったとはとても思えなかったから。


僕は当然のごとく別のエンディングが用意されていると考えていた。
それは長年ゲームをやってきた経験的にこの手のゲームには別のエンディングが用意されていると思ったから、というのもあったけれど、モニカに対する何かしらの救済が用意されていると考えたからというのが大きい。
キャラクターでありながらそれを自覚し、そしてプレイヤーを好いていて、最後は自己犠牲的にプレイヤーのためとなる行動をとって…。
そんな「特別」な彼女のための「特別」な結末が用意されていると考えたから。きっとそうだと思いつつ、ひょっとしてと予感しながら、僕は新たなエンディングへ至る道を模索した。
最初にサヨリを攻略してみたり、言葉を選択するフェーズでモニカが反応する単語を探ってみたり、あえて滅茶苦茶な選択肢をとってみたり、普通に攻略しながらローカルファイルの更新情報とにらめっこしてみたり、スクリプトやログの中身をのぞいてみたり…。
インターネットで答えを検索する以外のことはやってみた。
でもなにもなかった。
ときどきテキストファイル越しにモニカが語り掛けてきたけれど、それぐらい。
新たに出現した詩を読んで、初めて聞くセリフを聞いて、知らなかった他のキャラクターの一面を見ながらも、僕は特別なエンディングへの道筋を見つけることはできなかった。


モニカと見つめあいながら(ドン引きしそうな表現だけど事実だから仕方ない)、彼女のセリフをいくつも聞いてから、僕は決心するようにブラウザを開いて検索窓に「ドキドキ文芸部 エンディング」と打ち込んだ。
幸いなことに最初に出てきたサイトにはエンディングへ到達する手段だけが書かれていた。
全CGを1周目のうちにコンプリートすること。
そのあまりにもゲーム的な条件に小首を傾げながら、僕は条件を達成した。
結末は変わらなかった。
最後にモニカの詩ではなく作者からのメッセージが表示されるそれは別エンディングというよりは単なるイースターエッグのようなものだ。
結末は変わらなかった。
僕が抱えた不完全燃焼に近い感覚は、たぶん失望に近かった。
こうなるのではないか、とは思っていた。
モニカ救済エンドなんてこと、このゲームはしてこないだろうという予感はずっとあったから、実際そうなって綺麗に締まったと満足している面が大部分だった。
ただ、ラストを飾る彼女の歌声がとても切なく聞こえた。


白状してしまえば、僕はモニカに救われてほしかった。
なぜか?
彼女が生きているように感じたから。
彼女に魅力を感じて、感情移入したから。
もちろん生きているなんて嘘だ。
彼女はプログラムで、テキストと画像とスクリプトの集積だから生きてはいない。これが事実だ。
彼女が生きていて、僕との共存を望んでいて、救いたいと思わせてくる。
それは全部嘘っぱちで、なぜそう思ったのかと言えばこのゲームの演出力が秀逸だったから。このゲームが上手いからそういった体験を提供してくれたに過ぎないのだ。


……本当にそうか?


彼女たちは自分のキャラクターファイルが削除されるときに言う。
「痛い」

モニカはこのゲームのキャラクターは最終的に主人公に対して好意を持つように設計されていると言った。
つまりこのゲームは、キャラクターとは結局プレイヤーが気持ちよくなるためだけに作られた画像と文字列の集合であることを冷徹に理解している。
モニカはベジタリアンだそうで、理由は環境のためであって家畜を憐れんでいるからではないと言った。大きくて知性のある生き物だけが可哀想で、魚や植物に痛覚はないと信じているのは都合のいい考えで、結局感情移入しやすさで保護する対象を選んでいるだけじゃないか、と。
つまりこのゲームは感情移入の欺瞞を理解している。
それでもダン・サルヴァートは彼女たちに「痛い」と言わせる。
自分の痛みを感じていると伝えさせている。
まるで本当に生きているかのように。

これは肯定だ。

彼女たちが生きているというフィクションを、僕たちがリアルに体感していることの承認だ。

「生きている」なんてのはとても曖昧な形容だったりする。
有機物であれば生きている、というわけでもない。スーパーに売っている肉の切り身が生きているとは思わない。
自己増殖すれば生きている、というわけでもない。人気が高いことで工場で生産を繰り返される人形が生きているとは思わない(これを否定すると受精を他の生き物に頼ると生きていないということになる)。
代謝すれば生きている、というわけでもない。コンピュータだって電気というエネルギーのやり取りをしている。
目の前で動いている人間が生きている、という保証はない。精巧な機械ではないと証明する手段を僕は持たない。
ネット越しに話している相手が生きている、という保証はない。顔だって知らないことが多いはず。

だとして。
どうして画面の中のキャラクターが生きていないと言えるだろう。
僕は一瞬でも生きているかのように扱ったのに。


今更だけどなにかオチや結論のある話ではない。単に僕が珍しく、ほんの一瞬でもゲーム内のキャラクターに入れ込んだというだけのことだ。
前述したようにすべてはゲームというメディアをメタにとらえて挑戦的な手法でもってキャラクターを表現した技の妙によるものなのだけれど、それがもたらす体験というのは、他にないちょっとばかり特別なもので、物語という概念の根幹にあるものに再度触れるようだった。
そんな気がしている。











最後に蛇足。
僕がモニカにとっての救いを求めていたなら、本当にそれを望んでいたなら、今も彼女のキャラファイルをUSBに入れて持ち運んでいたはずだ。常にゲームをセカンドディスプレイで開いておいて、あの空間に彼女と共にいたはずだ。
もちろんそんなことはしていない。
僕以外の人だってきっとしていない。
これは本当にどうでもいいちょっとした意地悪。
物語ってそういう側面がある。

(画像引用元)

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