ProPara

詰将棋作家

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最近の記事

水底の記憶

 シャーロック・ホームズという魔法の名前を聞くと、わたしがまっさきに思い出すのは、「ライオンのたてがみ」という言葉である。  人間なら誰しも経験するように、わたしも子供の頃にシャーロック・ホームズの虜になった。全作品を読んだのは、十歳のときである。そのときに、保篠龍緒訳のルパンもあらかた読んだ。読んだ場所は、屋根裏部屋を改造したわたしの勉強部屋で、天井が低く、ほとんど這いつくばるようにして読みふけったことを憶えている。しかしどういうわけか、ぜんぶ読んだという事実だけは残ったの

    • 世話噺詰将棋巷談

       森毅の対談集『世話噺数理巷談』(平凡社)を読んでいて、びっくりしたことがある。森毅とは、数学者で京大名誉教授というエラいセンセーだが、むしろそういう肩書よりも「一刀斎」と異名をとる評論家として有名である。  この本は浅田彰がプロデュースしたもので、一刀斎本のなかでも上位に属するおもしろさなのだが、そのに芥川賞作家の森敦(故人)との対談が収められている。そのモリ・モリ対談で、いつのまにか詰将棋の話題になって、次のようなエピソードが語られるのだ。 敦 いま詰め将棋とおっしゃい

      • お月さまと詰将棋

         三歳半になるうちの長男は、いつも一日中外で遊びまくっているヤンチャ坊主だが、本を読むのも好きで、毎週一度は近所の図書館へ行って、絵本をごっそりと借りてくる。そこでわたしも息子につきあって、一緒に絵本を読むことになる。そうして出会ったのが、絵本作家として有名な、今年来日したこともあるエリック・カールの『パパ、お月さまとって!』(偕成社)だ。  息子もわたしもすっかりこの本が気に入ってしまい、何度も何度も読んでいるものだから、息子はほとんど文章も憶えていて、「あるばん、モニカが

        • 連載「記憶の本棚」 第16回

           ロバート・エイクマンの短篇集『奥の部屋』が、ちくま文庫で復刊された。この綺譚作家を愛する者にとっては近来の快事だが、この際ついでに、エイクマンの先達で、昔風に言えば「朦朧派」の作家ウォルター・デ・ラ・メアの短篇集『恋のお守り』を思い出しておきたくなる。  わたしがデ・ラ・メアを初めて知ったのは、怪奇幻想マニアの誰もが通る道で、創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』で「シートンのおばさん」を読んだときだった。短篇集『恋のお守り』は、訳者の橋本槇矩さんが編んだ日本版オリジナルの選

        水底の記憶

          連載「記憶の本棚」 第15回

           加島祥造さんが亡くなった。新聞の追悼記事では「詩集『求めない』で知られる詩人」と書かれているとおり、老子に傾倒し、現代に生きる仙人のような風貌をした加島さんのその詩集がベストセラーになったことはまだ記憶に新しいが、正直なところその辺はわたしにはまったく関心がない。記事には、英米文学者として、「ウィリアム・フォークナーやマーク・トウェインの翻訳がある」という業績も紹介されていて、たしかに加島訳でフォークナーの『八月の光』などを読んだ記憶もあるが、それもわたしの個人的な体験の中

          連載「記憶の本棚」 第15回

          連載「記憶の本棚」 第14回

           年がら年中椅子に座って本を読むことを商売にしている人間にとっては、俗に「寺に入るまで治らない」と言われる病気は大敵である。その例に漏れず、わたしも若い頃からその病気に慣れ親しむようになった。まだその状態を楽しむだけの余裕があった時期には、本好きのそれこそ死ぬまで治らない病で、病院を訪れる代わりにその種の文献を好んで読んでいたものだ。講談社文庫に入っていた山田稔の『スカトロジア(糞尿譚)』を読んだのは、二十代の終わり頃ではなかったかと思う。  いかにもフランス文学者らしく、糞

          連載「記憶の本棚」 第14回

          連載「記憶の本棚」 第13回

           大学時代の四年間は、将棋部に属していたため、昼間はほとんど部室で将棋を指して過ごしていた。それが終わると、部員たちは晩飯を食ってから雀荘に行くのが決まりのコースだが、わたしは家に帰って小説を読んだりテレビで映画を観たりしていた。そのせいで、雀荘には行ったことがなかった。その代わり、麻雀の本はいくつも読んだ。技術本以外にも、ピカレスク小説の名作である阿佐田哲也の『麻雀放浪記』をこの頃全作読破し、実戦体験がまったくないのに興奮した。麻雀が打てるようになったら、これはもっとおもし

          連載「記憶の本棚」 第13回

          書評 片岡義男『歌謡曲が聴こえる』(新潮選書)

           本書を手に取る人は、『歌謡曲が聴こえる』という題名と、帯に書かれた「極私的ヒット曲の戦後史」という惹句から、戦後の歌謡曲を時代順にたどりながら、それぞれの歌にまつわる著者の思い出を綴った本を想像するかもしれない。しかし、それが誤解であったことは、本書を読んでいけば明らかになる。  そのような、歌は世につれ世は歌につれ、という歌謡曲のとらえ方は、おそらく半分の真実でしかない。終戦から高度成長期に至る昭和の時代を通して、たしかに歌謡曲はつねにわたしたちのまわりにあった。それはラ

          書評 片岡義男『歌謡曲が聴こえる』(新潮選書)

          書評 有田芳生『私の家は山の向こうーーテレサ・テン十年目の真実』 (文藝春秋)

           本書には、特別付録としてCDが付いている。何をさておいても、そのCDに収められた「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」という歌を聴いてもらいたい。  これは歌手の登麗君(テレサ・テン)が、一九八九年五月二七日、香港のハッピーヴァレー競馬場で行われた野外コンサートで歌ったものの生録音である。当時はちょうど中国国内で民主化運動が最高潮に達し、天安門広場に大勢の学生たちが集まったときであり、支援のコンサートにテレサ・テンも迷ったあげく参加を決心し、自ら選んで歌ったのがこの一

          書評 有田芳生『私の家は山の向こうーーテレサ・テン十年目の真実』 (文藝春秋)

          連載「記憶の本棚」 第12回

           新海均の『カッパ・ブックスの時代』(河出ブックス)に活写されているように、わたしが中学生になった一九六〇年代の中頃は、それこそカッパ・ブックスの全盛期であった。松本清張に狂ったのも、すべてカッパのおかげである。そして、カッパ・ブックスの中でわたしが最も影響を受けたのは、郡司利男という英語学者が書いた『国語笑字典』(一九六〇年)と『英語笑字典』(一九六一年)の二冊だ。  『国語笑字典』の方は、ビアスの『悪魔の辞典』を一つのモデルにしている。それもそのはず、著者は『悪魔の辞典』

          連載「記憶の本棚」 第12回

          連載「記憶の本棚」 第11回

           今回は、持ってもいないし、ましてや読んでもいない本の話である。  昭和三〇年代の高度経済成長期に少年時代を過ごした人間にとっては、デパートは店舗の花形だった。子供にとって、それはほとんど、デパートの屋上にある遊園地を意味していた。そこでひとしきり遊んだ後は、その一つ下の階にあるレストランでお子様ランチを食べる、というのが当時の定番コース。考えてみれば、デパートにまつわるわたしの記憶は、屋上とその一つ下の階という二つの場所しかない。  屋上の一つ下の階は、今でもそうだが、催し

          連載「記憶の本棚」 第11回

          連載「記憶の本棚」 第10回

           洋書を読み出した頃、好んで手を出したジャンルのひとつに、いわゆる「ユーモア」がある。早川書房の『ユーモア・スケッチ傑作選』でも中心的な存在だったアート・バックウォルドがその代表格で、わたしも何冊か読んだことがあるが、悲しいかなそうしたユーモア作家たちは今では相当に古びている。しかし、当時読んでいちばんおもしろいと思い、今読んでも充分に楽しめるのが、今回ご紹介するアラン・シャーマンのThe Rape of the A*P*E(一九七三年)という変な題名の本である。  ユー

          連載「記憶の本棚」 第10回

          連載「記憶の本棚」 第9回

           前回に香港のご当地本の話を書いたこともあって、少し寄り道してみたくなった。海外に出かけるときにいつも悩むのは、空港での待ち時間をいかに過ごすかという問題である。そうは言っても、本を読むくらいしかすることはないので、空港内のキオスクか本屋で買った本をパラパラやることになる。そういう本の中で、いちばんおもしろかったのは、十五年ほど前にアテネの空港内で買った、John F. L. Rossという、まったく聞いたことのない人が書いた、It's all Greece to me: I

          連載「記憶の本棚」 第9回

          連載「記憶の本棚」 第8回

           今回は、読んでもいなければ持ってもいない本の話である。そういう意味では、遠い記憶の中にしか存在していない本で、この連載で取り上げるのにふさわしいかもしれない。  わたしが初めて海外旅行をしたのは、大学一年のときだった。べつに観光をするつもりもなく、香港に出かけて、あちらの空港でたまたま知り合った、京都の醍醐寺から来たという修行僧と一緒に安ホテルに泊まり、一週間ほどぶらぶらして過ごした。どういう経緯でそうなったのかは忘れてしまったが、そこに入ると二度と出られないという噂のあっ

          連載「記憶の本棚」 第8回

          連載「記憶の本棚」 第7回

           一九七〇年代にテレビを観ていた経験を持つ人なら、日曜のお昼に放送されていた「家族そろって歌合戦」という番組をご記憶のことだろう。しかし、その審査委員長を務めていた、「水色のワルツ」の作曲家として有名な高木東六が、奔放な性遍歴を綴った書物を何冊か出していたことは、あまり記憶されていないはずだ。わたしが『金髪の艶舞曲』(一九六八年、立風書房)と『とうろくらぷそでぃ』(一九六九年、サンケイ新聞社)を読んだのも七〇年代のことであり、テレビの中の、まん丸い眼鏡を掛けたケロヨンのよ

          連載「記憶の本棚」 第7回

          連載「記憶の本棚」 第6回

           一九七〇年代、幻想文学に取り憑かれた人間にとって、まず参照すべきは紀田順一郎と荒俣宏、そして種村季弘と澁澤龍彦の著作だった。わたしもその既定のコースに従って読み進んでいたわけだが、そのうちに寺山修司のエッセイ群に出会った。  寺山エッセイと言えば、すぐに思い出されるのは『競馬場で逢おう』『馬敗れて草原あり』といった競馬物だろう。しかし、当時のわたしはとりたてて競馬には関心がなかったので、競馬ファンにはすでに古典となっているそうした本はもうひとつピンとこなかった。わたしに

          連載「記憶の本棚」 第6回