連載「記憶の本棚」 第12回

 新海均の『カッパ・ブックスの時代』(河出ブックス)に活写されているように、わたしが中学生になった一九六〇年代の中頃は、それこそカッパ・ブックスの全盛期であった。松本清張に狂ったのも、すべてカッパのおかげである。そして、カッパ・ブックスの中でわたしが最も影響を受けたのは、郡司利男という英語学者が書いた『国語笑字典』(一九六〇年)と『英語笑字典』(一九六一年)の二冊だ。
 『国語笑字典』の方は、ビアスの『悪魔の辞典』を一つのモデルにしている。それもそのはず、著者は『悪魔の辞典』の翻訳者でもある。全体は十四の章に分かれ、ユーモアのあの手この手を教えてくれる。たとえば、『本の雑誌』向けに選んでみれば、こんな項目はどうだろうか。

しょひょう[書評]……本書はたんなる入門書ではない。ほとんどすべて海外の英文学者の所説を縦横に駆使した高度の研究書である。著者の独創は、たとえば、その装丁などに、よくあらわれている。仏文学に触れていないというのは、結局ないものねだりというものである。わずかではあるが、三百六十五ほどの誤植の訂正を願うものは望蜀であろうか。専門家のみならずひろく文盲の士にもすすめたい。

 子供の頃から漫才や落語のたぐいをしょっちゅう聞いていたわたしは、すっかりこの『国語笑字典』が気に入ってしまった。しかし、わたしにひそかな影響を及ぼしたのは、その項目の一つ一つではなく、裏表紙に載っている、「ニコリともしない笑いの大家」とキャプションが付いた著者近影(ガマ蛙がじろりとこっちをにらんでいるような顔だ)と、著者紹介文だったのかもしれない。大学教師は決して笑い顔を見せてはいけないが、その代わりに頭の中ではどんなにおかしなことをこっそりと考えていてもいい、という処世訓のようなものをそこから学んだのかもしれない。
 その紹介文中には、著者がイギリスに留学した帰りの船中で、「赤道祭の仮装舞踏会が催されたとき、ニコリともせず『マンゴー娘』の裸踊りを演じ、みごと一等賞を獲得した」という、本当なのか嘘なのかわからないエピソードが語られている。それを今、ほぼ五十年ぶりに読み返しているわたしの頭の中には、「満腔の気を吐く」という文句が浮かんでいるのだから、『国語笑字典』の影響力は絶大なのだった。

(初出:2015.12 本の雑誌)

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