書評 有田芳生『私の家は山の向こうーーテレサ・テン十年目の真実』 (文藝春秋)

 本書には、特別付録としてCDが付いている。何をさておいても、そのCDに収められた「我的家在山的那一邊(私の家は山の向こう)」という歌を聴いてもらいたい。
 これは歌手の登麗君(テレサ・テン)が、一九八九年五月二七日、香港のハッピーヴァレー競馬場で行われた野外コンサートで歌ったものの生録音である。当時はちょうど中国国内で民主化運動が最高潮に達し、天安門広場に大勢の学生たちが集まったときであり、支援のコンサートにテレサ・テンも迷ったあげく参加を決心し、自ら選んで歌ったのがこの一曲だ。かつては抗日歌であったものが、台湾に逃れた中国人たちの望郷の歌として生まれ変わった。その歌をテレサ・テンは初めて人前で歌った。曲の最後、「不要忘我們生長的地方/是在山的那一邊/山的那一邊(私たちの育った所を忘れちゃいけない/それは山の向こう/山の向こうなの」という箇所を伸びやかな高音で歌いきった後、テレサ・テンは感極まって「ウワッ」というまるで動物の叫びのような声にならない声をあげた。そこをぜひ聴いてもらいたい。その得体の知れない叫びこそは、本書のタイトルになっているテレサ・テンの「真実」に違いないからだ。
 わたしたち日本人の多くにとっては、テレサ・テンという歌手は「空港」でデビューし、「つぐない」で決定的な大ヒットを飛ばし、「時の流れに身をまかせ」を最後のヒット曲とした、ポップス系演歌歌手として記憶されているだろう。しかしそれだけでは、一九九五年に旅先のチェンマイで急死してから十年たつ今もなお、台湾や香港を中心とする大勢のファンから愛されているという事実を説明できない。
 テレサ・テンが歌手としての地位を確立したころ、国際的に孤立していた台湾は、国を代表する存在として、台湾生まれの彼女を囲い込もうとした。そして八〇年代に入ってから、中国では開放政策の影響で、テレサ・テンの歌う「何日君再來」がひそかに流行し、退廃的だとして批判の対象になったものの、「中国は昼は老登(登小平)が支配し、夜は小登(テレサ・テン)が支配する」とささやかれていたほどだったという。さらには、それがテレサ・テン大陸コンサートの計画へと話が広がり、彼女は中国と台湾が演じる政治的な綱引きに否応なしに巻き込まれていく。
 テレサ・テンの伝記である本書を読んでいくうちに、痛ましいほどの思いで読者に伝わってくるのは、一人の女性が単に歌手として生きることを許さなかった、政治的現実の厳しさであり、それをそのまま引き受けようとしたテレサ・テンの誠実さである。「わたしはチャイニーズです」と宣言したテレサ・テンは、その言葉どおりに生きようとした。そして中国の将来に心を痛めていた。
 中国と台湾、そして日本という三者が現在置かれている複雑な政治的状況を眺めれば、本書に対して、あるいはテレサ・テンの生きざまに対して、何かものを言うことは、どれか一つの立場を選択することになってしまうのかもしれない。テレサ・テンをめぐる謎として、本書で取り上げられているものの一つに、「テレサ・テンが台湾の軍部のスパイだった」という説がある。著者はその証言をした人物に直接取材をして、この説を根拠のないデマだと否定するが、考えてみれば、こういうとんでもない話がテレサ・テンをめぐる言説として流布していたことじたいが、政治的現実の想像を絶する恐ろしさと言えるだろう。
 テレサ・テンは歌手として、チャイニーズとして、そして亡くなる前には恋する女性として生きようとした。さまざまに引き裂かれた一人の人間が、心の奥からしぼり出した叫び、それがCDに録音されている「ウワッ」なのだ。淡々とした筆致で彼女の生涯を綴る本書は、その「ウワッ」の一言に負けている。しかし、それこそはテレサ・テンの栄光であり、本書の栄光なのである。

(初出:2005.4 毎日新聞)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?