連載「記憶の本棚」 第7回

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 一九七〇年代にテレビを観ていた経験を持つ人なら、日曜のお昼に放送されていた「家族そろって歌合戦」という番組をご記憶のことだろう。しかし、その審査委員長を務めていた、「水色のワルツ」の作曲家として有名な高木東六が、奔放な性遍歴を綴った書物を何冊か出していたことは、あまり記憶されていないはずだ。わたしが『金髪の艶舞曲』(一九六八年、立風書房)と『とうろくらぷそでぃ』(一九六九年、サンケイ新聞社)を読んだのも七〇年代のことであり、テレビの中の、まん丸い眼鏡を掛けたケロヨンのような顔と、フランス留学中に恋の手ほどきを受け、女性たちから「トト」の愛称で呼ばれたという性豪のイメージが、どうしても結びつかなかったことを憶えている。
 この二冊は、フランス留学中の体験談を語る部分が重複しており、残りはいずれもセックスをめぐる、主に日本女性についてのよもやま話になっているが、やはり高木東六愛読者としてはヨーロッパ女性との体験談の方が圧倒的におもしろい。その理由は、ほとんど小説的と言ってもよさそうなエピソードや名場面があるからで、とりわけ、スイスのレマン湖畔にあるモントルーで繰り広げられる、純情な娘ベティと情熱的なドイツ人女性ロッテの二人を同時に相手した末、それが破局に至る文字どおりのクライマックス場面は、トトこと高木東六ならずとも終世のトラウマ体験になりそうだ(ちなみに、モントルーはナボコフが晩年を過ごした場所であり、わたしにとってはナボコフと高木東六がモントルーの景色に重なってしまい、なんとも妙な具合なのである)。
 『金髪の艶舞曲』と『とうろくらぷそでぃ』を読み比べてみると、後者の方が細かく書き込まれていて、前者でぼかされていたことが後者を読むと合点がいくこともしばしばある。しかし、前者にあって後者にないもので、思わず微笑を誘われるのは、パリで「肉の狂宴」に参加した後で、その夜の記念写真の中から、「茂みに忘れな草を二、三輪挿しこんだ女性」が写ったものを選ぶ話である。そのエピソードを書いている高木東六は、伊藤整訳の『チャタレー夫人の恋人』にも、「デルタ地帯に忘れな草を挿しこんで戯れあう」場面があったことを思い出す。わたしはこういう良く言えば純情でロマンチックな高木東六が好きだ。え、そんな場面があったっけ、と思う方は、今すぐ『チャタレー夫人の恋人』を読み返してみてください。

(初出:2015.7 本の雑誌)

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