連載「記憶の本棚」 第14回

 年がら年中椅子に座って本を読むことを商売にしている人間にとっては、俗に「寺に入るまで治らない」と言われる病気は大敵である。その例に漏れず、わたしも若い頃からその病気に慣れ親しむようになった。まだその状態を楽しむだけの余裕があった時期には、本好きのそれこそ死ぬまで治らない病で、病院を訪れる代わりにその種の文献を好んで読んでいたものだ。講談社文庫に入っていた山田稔の『スカトロジア(糞尿譚)』を読んだのは、二十代の終わり頃ではなかったかと思う。
 いかにもフランス文学者らしく、糞尿をめぐるウンチクばなしが盛り込まれていて楽しく読めるが、本書が精彩というか異彩(異臭?)を放っているのは、「I外科病院にて」と「ウンコッロ・クラッター氏の世にもすばらしき体験」の二篇である。前者は、山田稔が京都の「北白川のI医院」で手術を受けたときの体験記で、手提かばんに「あのいまいましい」セリーヌの『夜の果ての旅』一巻だけを入れていったというおかしさもさることながら、手術後三日目の晩に襲った激痛の描写「歯をかみしめ、上体をよじりながら、私は夜の白むのをどんなに祈るような気持で待ったことか」は、まだ手術を経験していないわたしに北白川一帯に響きわたる悲痛なうめき声を想像させた。
 そして、わたしをもっと驚かせたのは、著者に長文の手紙を送りつけてきた、「ウンコッロ・クラッターなる人物」からの文章の抜粋だ。それは単なるファンレターの域を超えて、ほとんど文学作品と言ってもいいほどの鬼気迫るもので、「愉しいことはまだ二、三日続きました。つまりバリウムのせいで二、三日間はウンコが真白になるのです。そこに血がパッと落ちます。雪に散る紅ボタンの花びら。まじったところで薄桜。私はこんなにも美しいものを見たことがありません」という一節には思いがけないリリシズムまである。
 しかし、わたしを驚かせたのはそれだけではない。このクラッター氏が、当時九州大学にいた、名物数学者の倉田令二朗だとすぐに気づいたのだ。わたしが高校生にときに読んでいた数学雑誌の巻頭言で、倉田令二朗が数学とはまったく関係なくボラギノールのことを書いていたのをそのとき思い出した。森毅と並んでおもしろい文章を書く数学者の双璧だったクラッター・レイジロウに、同病相憐むという気持ち以上の親近感を抱いたのはそのときだった。

(初出:2016.2 本の雑誌)

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