水底の記憶

 シャーロック・ホームズという魔法の名前を聞くと、わたしがまっさきに思い出すのは、「ライオンのたてがみ」という言葉である。
 人間なら誰しも経験するように、わたしも子供の頃にシャーロック・ホームズの虜になった。全作品を読んだのは、十歳のときである。そのときに、保篠龍緒訳のルパンもあらかた読んだ。読んだ場所は、屋根裏部屋を改造したわたしの勉強部屋で、天井が低く、ほとんど這いつくばるようにして読みふけったことを憶えている。しかしどういうわけか、ぜんぶ読んだという事実だけは残ったのに、いったいどんな物語だったのか、すっかり忘れてしまった。そして、その頃からなぜか記憶に残り、まるで形見の品のように今でも一つだけ大事に取ってあるのが、「ライオンのたてがみ」という言葉なのだ。
 もちろん、ホームズの愛読者なら、これがいわゆるダイイング・メッセージであることは先刻ご承知だろう。しかし、当時のわたしはその謎解きに惹かれたわけではなかった。それでは、ほとんどすべての作品の内容を忘却してしまっても、この「ライオンのたてがみ」だけを記憶に保存させた原因は何だったのか。それを探ろうと思えば、ホームズ物すべてを再読し、とりわけその短篇を再読してみればいいわけだが、なぜかわたしはそれをずっと怠ってきた。そしてつい最近になって、たまたま出会ったのが、イギリスの現代小説家であるジョナサン・コーが書いたエッセイ「あるオブセッションの日記」だった。
 ジョナサン・コーが綴っていたのは、ビリー・ワイルダーが撮った映画『シャーロック・ホームズの私生活』(邦題は『シャーロック・ホームズの冒険』だが、紛らわしいので、原題を直訳したこの表記を使う)をめぐる、個人的な体験だ。彼は十一歳のとき、夏休みに海辺の店で『シャーロック・ホームズの私生活』というペーパーバックを目にする。これがいわば原体験である。そして翌年に、テレビでワイルダーの『シャーロック・ホームズの私生活』を観る。彼はその映画について、祖父と語り合う。祖父はホームズの大ファンで、ジョナサン・コーも祖父に仕込まれてホームズの愛読者になっていたのだ。祖父が言うには、コリン・ブレイクリーが演じるワトスン博士はあまりにも元気がよすぎるし、ホームズ役のロバート・スティーヴンスの演技もばかげているという。しかし、なぜかジョナサン・コーはこの映画に強い印象を受けた。生涯にわたるオブセッションが始まったのは、そのときである。その後、彼はノヴェライゼーションである『私生活』のペーパーバックを手に入れ、読んでみたらまったく予想に反してみごとな小説であることに驚き、何度も何度も愛読した。
 オブセッションになった原因の一つは、哀愁をたたえたミクロス・ローザの映画音楽にあった。ジョナサン・コーはそのヴァイオリン協奏曲を何とか入手しようと苦心惨憺したが、なかなか出会えなかった。そしてそのうちに、公開された映画が実は二時間六分の長さではなくもともと四時間以上もあったこと、そのオリジナルは四つの挿話からできていたのにそのうちの二つが完全に削除されたこと、そしてカットされたフィルムが消失していることを知った。レコードを手に入れたい、失われたオリジナル版を観たい。この二つの欲望は、いずれも時の経過によって実現されることになる。現存するフィルムおよび脚本の断片を加えたレーザーディスク版が発売され、ジョナサン・コーはとうとうそのディスクをBBC放送局の一室で観た。十二歳に初めてテレビで『私生活』を観た、その日から二十年以上も経過したときのことである。それがある意味でオブセッションの終わりだった。
 ジョナサン・コーはこう考える。彼がようやくたどりついた『私生活』のオリジナル版が、復元不可能なまでに不完全な状態だったこと。実はそれこそ、あるべき姿ではなかったのか、と。彼が求めていたのは、求めても手に入らないもの、子供の頃に祖父と一緒にホームズを読み、それについて語り合った、その二度と取り戻すことのできない記憶だったのかもしれない。
 きわめて感動的なエッセイだが、ここでわたしはビリー・ワイルダーについて思いを馳せずにはいられない。ワイルダーはホームズの愛読者で、ホームズを映画にするのが長年の夢であったという。それは共作者として名コンビを組んでいたI・A・L・ダイアモンドも同じだったらしい。『私生活』を撮るにあたって、初めてイングランドおよびスコットランドでロケをして、ベーカー街を再現するために法外な資金を投入し、しかも四時間という長尺物に仕立てたのは、ワイルダーとしてはまったく異例のことだった。ワイルダーは、それほどまでにホームズを、そして自分の撮った『私生活』を愛していたのだ。ところが、上映には長すぎるというのでワイルダーの関与しないところで編集によって二時間に切られてしまい、その変わり果てた姿を見て、ワイルダーは涙を流したという。結局、『私生活』は商業的に大失敗に終わり、批評家の評価もまったく芳しくなかった。ワイルダーはこの『私生活』の失敗を、最晩年に至るまで心の痛手として持ちつづけていたようだ。
 ホームズの愛読者で、しかも『私生活』をご覧になったことがある読者なら、ワイルダーのそれほどまでの愛着を不思議に思うかもしれない。なぜなら、『私生活』で描かれているホームズはけっして頭脳明晰な名探偵ではなく、むしろ病んだキャラクターであり、ロシアバレエ団のプリマドンナから子種を提供してほしいというとんでもない申し出を受けたときに、実はワトスンと長いあいだ幸せに暮らしているのでと言い逃れをして窮地を脱するが、その嘘がどこか嘘に聞こえないような雰囲気を持っているのである(ワイルダーはホームズのそうした側面をさらに強調することも考えていたらしい)。これはホームズ愛読者にとっては偶像破壊的な行為であり、冒涜だと思う人がいてもおかしくないほどだ。ジョナサン・コーの祖父の反応も、なるほどもっともだと言えよう。
 しかしだからこそ、ワイルダーの個人的なホームズ体験には、きっと根深い何かがあったのではないかと思いたくなる。現在のポーランドに生まれ、オーストリアやドイツで若い頃を過ごしたワイルダーが、なぜそれほどまでにホームズに惹かれたのか、そこにはきっと何かがあるはずなのだ。わたしはその体験を何かの形で共有したいと思う。しかし、ワイルダーがこの世を去った今、わたしたちに残された手がかりは、『シャーロック・ホームズの私生活』という不完全な形をした、ワイルダーの夢の跡しかない。わたしたちはそれを手がかりに夢想するしかない。
 ワイルダーのホームズ体験は、ちょうど『私生活』に出てくるネス湖の怪獣のように残骸となって、わたしたちの手がとどかない水底に消えていく。ちょうど、水底にゆらゆらとただよいながら、わたしの記憶から今にも消えていこうとする、あの「ライオンのたてがみ」のように。

(2007.1 光文社文庫 ドイル『四つの署名』収録エッセイ)

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