連載「記憶の本棚」 第15回

 加島祥造さんが亡くなった。新聞の追悼記事では「詩集『求めない』で知られる詩人」と書かれているとおり、老子に傾倒し、現代に生きる仙人のような風貌をした加島さんのその詩集がベストセラーになったことはまだ記憶に新しいが、正直なところその辺はわたしにはまったく関心がない。記事には、英米文学者として、「ウィリアム・フォークナーやマーク・トウェインの翻訳がある」という業績も紹介されていて、たしかに加島訳でフォークナーの『八月の光』などを読んだ記憶もあるが、それもわたしの個人的な体験の中心ではない。つまり、わたしにとって加島祥造さんとは、リング・ラードナーとデイモン・ラニアンの翻訳者である。
 小説を読み出した二十歳の頃、、わたしは加島訳のリング・ラードナー『微笑がいっぱい』(一九七〇年、新潮社)とデイモン・ラニアン『野郎どもと女たち』(一九七三年、新書館)を見つけて、すっかりその世界にはまってしまった。二人の選集を洋書で海外注文して読み、そのうちの数篇を自分で翻訳してみたこともあるほどだ。この二人に、ベン・ヘクトとポール・ギャリコを加えた四人組を想定してみると、その共通点は何か、お気づきになるだろうか。彼らはみな、新聞記者を経験して作家になった、アメリカの大衆小説家なのである。彼らに対するわたしの関心は今なお続いていて、わたしの本棚の中では、神棚に相当する位置を占めている。そういう趣味を身につけてしまった、すべてのきっかけが加島さんなのだ。あの頃は、加島訳というラベルがひとつのテイストを表していたのである。
 当時を振り返ってみたとき、もうひとつ興味深い事実がある。それは、『微笑がいっぱい』に始まり『息がつまりそう』(一九七一年)『ここではお静かに』(一九七二年)と新潮社で続けて出た三冊に収められているラードナーの短篇は、その多くが早川書房の「ミステリマガジン」誌に載ったもので、そこには常盤新平が関与している。言い換えれば、七〇年代前半の加島訳によるラードナーやラニアンの積極的な翻訳紹介は、早川のユーモア路線と連動していたわけだ。
 先頃わたしが編者として上梓した、早川書房刊の『ベストストーリーズⅠ』は、巻頭にラードナーの「ぴょんぴょんウサギ球」を持ってきているが、それはわたしの趣味を形作ってくれたラードナーに対する敬意を表した選択だった。

(初出:2016.3 本の雑誌)

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