連載「記憶の本棚」 第10回

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 洋書を読み出した頃、好んで手を出したジャンルのひとつに、いわゆる「ユーモア」がある。早川書房の『ユーモア・スケッチ傑作選』でも中心的な存在だったアート・バックウォルドがその代表格で、わたしも何冊か読んだことがあるが、悲しいかなそうしたユーモア作家たちは今では相当に古びている。しかし、当時読んでいちばんおもしろいと思い、今読んでも充分に楽しめるのが、今回ご紹介するアラン・シャーマンのThe Rape of the A*P*E(一九七三年)という変な題名の本である。
 ユーモア物を好んで読んだ理由のひとつは、何がおかしいのかわかるために、社会文化的な背景や、英語そのものの知識が不可欠になるからである。逆に言えば、そういう知識が身についていけばいくほど笑えるようになり、多少は自分も洋書が読めるようになったという実感が持てる。たとえば、ギャグ満載の本書には、The Obscening of Americaという副題が付いていて、これだけで笑える人は、わたしと同年代か、あるいはアメリカ七〇年代の文化史をよくご存知の方だろう(訳してみると、「桃色革命」という感じかな)。
 初めて読んだときには、日本でまったく紹介されたことのないアラン・シャーマンがどういう人物か知らなかったが、彼は六〇年代前半に替え歌コメディアンとして人気があったエンターテイナーで、本も書く多芸多才の人であった。本書は性革命がアメリカのピューリタン的社会に及ぼした影響を綴ったクロニクルで、隅から隅まで笑えるばかりでなく、今読めばドキュメンタリーとしての価値もある。
 本書で知ったエピソードで、四十年近く経った今でもまだ記憶していたのは、こんな話だ。『波止場』でアカデミーの助演女優賞を獲ったエヴァ・マリー・セイントが、授賞のスピーチで感極まって口にしたのが"Oh, Shit."の一言だったというのである。びっくり仰天のエピソードだが、今回再読してみて、それはわたしの記憶違いだったことが判明した。彼女がその言葉を口にしたのは、別の公の席だったのだ。それでは、オスカー授賞のときにはどんなスピーチをしたのか、YouTubeで調べてみたら、なんと彼女は「今ここで赤ちゃんを産んでしまいそうだわ」と言ったのだ。そのとき彼女は妊娠中で、事実、その二日後に男児を出産したという。凄すぎる話ではないか。やはり、昔読んだ本を読み直すと勉強になりますね。

(初出:2015.10 本の雑誌)

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