奥村菜依加|Produce One

道東のライター。 日常で起こったどうでもいいことを、 どうでもいい語り口で好き勝手書き…

奥村菜依加|Produce One

道東のライター。 日常で起こったどうでもいいことを、 どうでもいい語り口で好き勝手書きます。

最近の記事

走れない、メロス

とある持病で、時たま病院のお世話になっている。 病院はなんといっても待ち時間が長い。たまにここはネズミさんが活躍する夢の国なんじゃないか、と勘違いしてしまうくらいには待ち時間が長い。きっと診察室という名のアトラクションなんだと思う。すみません、ファストパスってお金で買えますか? とまあ、今日も今日とて待合室で時計とにらめっこしている。 手持ち無沙汰で仕方ない。 待合室に置いてあった書籍コーナーに目をやると、めくられた後がつきまくっている雑誌と日焼けした書籍が並んでいた。

    • アラサーバツイチライター、ペンを取れ

      身を刺すような、北海道の冬が来た。 わたしが暮らす地域は寒暖差がとんでもない。そんなもんだから小さな部屋で、灯油ストーブをブラック労働させている。一歩間違えれば、労基にカチコまれるような労働時間。おかげさまで、ぬくい室温と体温のまま朝起き深夜に眠る生活。 自分の居場所を作るために慌てて借りたこの部屋には、小さなベランダがついている。最近になって、ようやっと重い腰を上げて掃除し、小さな木の椅子を置いた。 朝起きる。 コートを羽織る。 タバコを手に取る。 ベランダの扉を開け

      • 金髪チート説

        9月の終わり、29歳になった。 29歳。 29歳。 ずしん、とくる重さ。 もう来年には30歳になる。 30歳だなんて、遠い遠い未来の話だと思っていた。なんなら、もっと大人なナオンになっているはずだった。 ところがどうだ、やっていることは19歳の頃の自分となんら変わらない。夜中にタバコを吸いながらゲームしている。強いて言うなら、納期という仕事に追われているくらい。 20代、終わりの始まり。 20代のうちにやり残したこと、何かないだろうか。そう考えて、まず一番はじめに

        • ドライブトークと怒りの処理

          仲のいい後輩がいる。 前職の元後輩であり、現在進行形でともにプロジェクトを進めるチームメンバーでもあり、一緒にアイスを食べる友人でもある不思議な関係。常に笑顔を絶やさない4つ年下の彼は、誰が見ても人当たりのいい穏やかな人間だ。 クライアント先への訪問日。 移動に2時間弱かかるため、彼が運転をかって出てくれた。遠距離訪問の時は、いつも気遣ってそうしてくれる。気遣いの権化だ。 今日も今日とて穏やかな彼は、コンビニで私に向かってにこやかにレッドブルを突き出す。おい、買えってこ

          諭吉と樋口、ときどき野口

          怒り、悲しみは第二感情と呼ばれるものらしい。 ざっくりいうと、「こういう風になってほしい」「相手にこうしてほしい」という自分の欲望からくるものらしい。子どもが親にお菓子を買ってほしいと泣く、これと同じ原理だ。 例えば、子どもの帰りが遅くなって親が怒るなんてケースがあるとしよう。 これは「どこに行っているか心配だった」「事件や事故に巻き込まれたのでは」という不安からくる第一感情、それが怒りという第二感情にメガシンカするというわけだ。なるほど。 ある日の夜、私は駐車場の精算

          諭吉と樋口、ときどき野口

          病院受付、刀剣おばあちゃん

          BGMの持つ力は計り知れないんじゃないか、と思う。 どんなにシリアスな映像であったとしても、ひょうきんなBGMがかかった瞬間にコメディに昇華してしまう。逆にめちゃくちゃ面白い映像だったとしても、BGMが世にも奇妙な物語であればどうか。途端に「この映像には何か裏があるんじゃ…?」と勘繰ってしまうだろう。ちょっとそんな映像があったら見てみたい。 この1ヶ月間、左顔面の痛みと闘ってきた。 忌々しい7/28(お誕生日の人はごめんなさい、ご多幸をお祈りしています)朝目を覚ました瞬

          病院受付、刀剣おばあちゃん

          寡黙な父、暴走す

          割とうちは、仲の良い家族だと思う。 私の6倍は喋り散らかすファンキーな母に、すっとぼけている天然で心優しい弟。言葉数の多くない父と、どんなことも斜に構えて笑う私。 この4人で食卓を囲めば、ありがたいことに会話が尽きることがない。むしろ尽きてほしい。そのくせ言葉のキャッチボールができないから、ほぼ一方的なボールばかりだ。さながら言葉のドッジボールである。そしてそれを誰も気に留めない。 中1の時に母が再婚して、今の家族構成になった。 私と弟は、母の連れ子である。 当時の私

          居場所としての運転席

          車を入れ替えた。それもとんでもないタイミングで。 元々は小さな茶色の軽自動車に乗っていた。 特段車が好きなわけでもないし、とりあえず乗れるならなんでもいい精神。充てがわれた車にただ乗っていただけである。 しかし、新しくなった車はコンパクトSUV。小柄な私に対して、そこそこ大きい車だ。まさか独り身になるとは思っていなかったから、何をどう考えたって分不相応な買い物。生後1ヶ月の赤ちゃんにMacBookを渡すくらいの不相応っぷりだ。 でも、この選択は今になって良かったと思える

          居場所としての運転席

          8月16日の夜に

          【子どもに関する、ちょっと重たい話を含みます。苦手な方は他の記事をご覧くださいませ。どうぞごゆるりと。】 夢を見た。 だだっ広い公園のような、でもそこまで整備されてはいない広場。3、4歳くらいの男の子が、私の右手を握っている。声が出ない。彼はそんな私の様子を見て、心配そうに顔を覗きこんでいる。 咄嗟に思った。あの子だと。 2019年の6月、はじめての命を授かった。 何年も不妊治療を重ねた末のことだから、嬉しくて嬉しくて、心から神様に感謝した。 でも十月十日よりもずっ

          何度も救われる、あいつの話

          8/13の午前0時、私はタオルを握りしめ号泣していた。 昔から音楽が大好きだ。 聴くことが好きだし、歌うことも好き。なんなら好きが高じてギターやベース、キーボードやドラムなどひとしきり触ってみたりもした。 中学から高校まで吹奏楽、大学時代は軽音とバンド活動に明け暮れていた。文字通りの音楽バカである。ちなみに、今でもバンドで歌っている。 そんな私が通い詰めていたのが、北海道を代表する音楽フェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL」。学生の頃から今のいまに至る

          何度も救われる、あいつの話

          デパコス売り場のジャンヌダルクたち

          「いやあ…これ、まずいよ」 「まずいね、このままだと非常に」 これから余命宣告でもするかのような神妙な面持ちで、私の大好きな先輩2人が顔を見合わせていた。 彼女たちが憂いているのは世界情勢でも明日の夕飯のメニューでもない。 私が持っている化粧品の少なさについてである。 父は理容師、母は美容師という美容一家の娘に生まれたものの、幼い頃から全くもって美容と呼ばれるものに興味がなかった。ただの1mmも。もう少し恥ずかしがれ。 高校生になって友達たちがメイクに目覚め始めてから

          デパコス売り場のジャンヌダルクたち

          プレゼントは難しい

          贈り物が、どうも苦手だ。 基本的に、人になにかをすることが割と好きな性分だと思う。それはなにかをすることが目的じゃなくて、その人が何をしてもらえたら嬉しいか、それを考える時間が好きだから。ただの自己満足である。 ただし贈り物、お前は別だ。 ここで言う贈り物、いわゆる「プレゼント」は行為と違ってモノだ。形として残ってしまう。行為であれば一過性のものだから、たとえそれがお節介であったとしても「ありがとう!」と流してくれる人が大半。でもこれがモノになったらどうだ。邪魔でしかな

          プレゼントは難しい

          運動?なにそれ美味しいの?

          死ぬほど運動ができない。 産みの父はサッカー、育ての父はバスケと柔道。母もこれまたバスケ。弟はやたらと足が速い卓球部。直系の家族から従兄弟たちに至るまで、私の家族は全員ゴリゴリのスポーツマンで、文化系の人間は自分たったひとりだった。 100m走の最短タイムは20秒。球技もからっきしで、ドッジボールを考えた人をどうにかして裁判にかけられないか本気で考えた。身体測定で褒められるのは前屈のみである。ただ腕が長いだけじゃねえか。 おかげさまで、小学校の頃の運動会は散々だった。

          運動?なにそれ美味しいの?

          にわかルーティン

          にわかフリーランスになってから、数日が経つ。 あえてにわか、としているのは、前職の引き継ぎや残してきた仕事がまだ残っているから。体調不良も相まって、チビチビと進めていたここ数日。申し訳なさで穴があったら入りたい。そのまま3年は寝たい。 そんなぬるっとしたフリーランスの始まりではあるものの、最近感じているのは「ルーティン」の重要性。数年前にラグビーで有名になったアレである。(情報の鮮度が古い) 当たり前に送っている日常の中には、どうやら見えないルーティンがいくつも隠されて

          手術台の上の鯉

          2021年の秋、とある手術を受けた。 命に関わるような重篤なものではないが、ちゃんと全身麻酔をしていただくタイプのTHE手術。どうやら地元じゃ出来ない難解なケースだったらしく、都市部の病院で受けることになった。 手術当日、なんかもうよく分かんないテンションで病院へ向かう。 事前にサインした同意書を看護師さんに渡し、点滴やらなんやら前処置が始まる。「なんか手術みたいっすね!」とかどちゃくそ当たり前の感想を述べながら、ごわごわしたスカイブルーの手術着に着替える。ちなみにこの

          ハイカウンターの向こう側

          とにもかくにも、めんどくさい。 今の私には、ありとあらゆる手続きが降りかかっている。いわゆる契約変更だったり、書類の提出や書き換えだったり、とにかくとんでもない量が降りかかっている。ゲリラな豪雨もびっくりなほどの降りかかりようである。 仕事柄か性格か、書類に目を通すことは割と嫌いじゃない。 自分の個人情報を丁寧にしたためていく作業も苦にならないし、添付しなければいけないあれやこれやを揃えるために、お役所を梯子するのもそこまで辛くない。なんなら最短ルートで動けると、達成感

          ハイカウンターの向こう側