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リプトンと記憶
わたしの血液は、たぶんリプトンのミルクティーで出来ている。
知ってます?あの青い紙パックのやつ。
中学生のときに初めて飲んでからというもの、取り憑かれたように飲んでいる。飲み物を買おうとコンビニに立ち寄るたびに、色々悩んではこいつに手を伸ばす。テスト前も、部活の大会前も、病める時も健やかなるときも、リプトンミルクティーと共にあった。アーメン。
そして齢30を迎えようとしている今も、しっかりと飲み続けている。
なんだろうねコレ、もはや習慣?
日本人が米を食う、それくらいの通常運転?
先日、旧友に会った時。
「いや、まだそれ飲んでんの?変わんないね笑」
「そういえばコンクール前の時さあ〜…」
と他愛もない雑談に花が咲いた。
と、同時に気づいた。
みんな、連想ゲームを始めている。
「リプトンミルクティー=私」の構図が成り立ちすぎていて、それがトリガーとなり、見る人見る人それぞれが自分なりの記憶を呼び覚ましている。
とある人は、中学時代のコンクール前。
とある人は、高校時代の登下校。
とある人は、自宅で遊び散らかしていた放課後を。
そして私は私で、リプトンはいろんな記憶と結びついている。
この紙パック大きいんだけど、高校の時のお弁当バックにシンデレラフィットしたから運びやすかったな。自転車のカゴはカバンでパンパンだったから、ハンドルに引っ掛けていた気がする。帰り道はずっと下り坂だったから、ほぼ自動運転の自転車に跨ってたな。
そういやセーラー服が寒すぎて、肩やら腰やらに膝掛け毛布を巻き付けてたっけ。膝に掛けろ膝に。
でも高校時代ってオシャレというか、「こんな格好するくらいなら寒いほうがマシ!」みたいな独自のオシャレロードマップがあって。全身真っ黒のセーラー服に、オシャレさがあるかどうかは甚だ疑問だけど。いやー、若かったなあ。今なら全速力で保温を選ぶもんなあ。
とまあ、こんな感じに記憶が連鎖していく。
自分だけかもしれんが。
香りと記憶は密接に関わっている、なんていうけれど。きっと味と記憶も、つながっているんだと思う。だからおふくろの味なんて言葉が生まれるんだろう。
もしかすると私は、今ただミルクティーを飲んでいるのではないかも知れない。
きっと、あの頃の記憶を飲んでいる。
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