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プレゼントは難しい


贈り物が、どうも苦手だ。


基本的に、人になにかをすることが割と好きな性分だと思う。それはなにかをすることが目的じゃなくて、その人が何をしてもらえたら嬉しいか、それを考える時間が好きだから。ただの自己満足である。


ただし贈り物、お前は別だ。


ここで言う贈り物、いわゆる「プレゼント」は行為と違ってモノだ。形として残ってしまう。行為であれば一過性のものだから、たとえそれがお節介であったとしても「ありがとう!」と流してくれる人が大半。でもこれがモノになったらどうだ。邪魔でしかない。


つまり贈り物というのは、「その人の好きなもの、好きなことをきちんと認知できているか」が試されるテストなのである。怖い。



そして今、私は巷の女子ならだいたい好きそうな雑貨屋の角で、ディスプレイされたおしゃれな商品を眺めている。苦虫を噛み潰したような顔で。


普段の私なら、ちょっとお高めなフレグランスやスキンケア用品を贈ることが多い。経験上大きく外すことはないだろうし、万が一外してしまったとしてもフリマサイトにドン!できる。(ごめんなさいメーカーさん、私の力不足です)

だがしかし、友人との関係性が長くなっていくにつれて、そうもいかなくなってくる。いわゆるネタ切れというやつだ。

その人のことをよく知っているからこそ、限られたストライクゾーンの中で立ち回ることに限界が生まれる。喜んでほしいからこそ、適当なもので帳尻を合わせるのは嫌だ。


悩みに悩み、「あなたが歩いているのは陸上トラックですか?」と尋ねられるほどにはぐるぐると店内を巡回した。おそらく1500m中距離走くらいは歩いた気がする。結果、何も手にせず雑貨屋を後にした。


その数分後、私の姿は某コンビニエンスストアにあった。
ama◯onのギフトカードを握り締めて。


これは思考の放棄じゃない。愛だ。


追記:
この贈り物をした友人からは「申し訳ないけど、マジで一番嬉しいわ」のお言葉を頂戴した。やはり現金とギフトカードは世界を救う。関係性があって成り立つものなので、良い子は真似しないでね。




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