見出し画像

居場所としての運転席

車を入れ替えた。それもとんでもないタイミングで。

元々は小さな茶色の軽自動車に乗っていた。
特段車が好きなわけでもないし、とりあえず乗れるならなんでもいい精神。充てがわれた車にただ乗っていただけである。

しかし、新しくなった車はコンパクトSUV。小柄な私に対して、そこそこ大きい車だ。まさか独り身になるとは思っていなかったから、何をどう考えたって分不相応な買い物。生後1ヶ月の赤ちゃんにMacBookを渡すくらいの不相応っぷりだ。


でも、この選択は今になって良かったと思える。


2歳年下の弟がいる。
優しさと素直さ、そして運動神経は彼に全て持っていかれたと思っている。すまん。姉は全く持ち合わせていない。母はよく「足して2で割ったら色々とちょうどいいのに」と笑う。そんな上手いこといくもんか。

彼はとある会社の営業マンだったのだが、ある日いきなり運送業に転職した。トラックの運転手だ。今やとんでもない大きさのトレーラーを縦横無尽に走らせている。

その時によく話していた。

「車って、個室じゃん。運転席って自分だけの空間だから、それがなんか落ち着くんだよね」


今になってその意味が痛いほどわかる。


実家に身を寄せさせてもらっていても、10年ぶりの家はやはり他人の家。他人の生活の中にお邪魔させていただいている気持ちになってしまう。(もちろん両親は本当に良くしてくれている、不肖の娘で申し訳ない)

だから、自分が落ち着く場所は車の中だった。

運転席に腰を埋め、好きな音楽を流し、コンビニで買ったアイスコーヒーを片手に煙草をふかしている時間。この時間がいつの間にか自分にとって息つく時間になって、「自分らしさ」を取り戻す瞬間になった。


文字通り身の丈に合わない車だけれど、このタイミングで手に入ったからこそ、なんとか息ができる。そう考えると、高い買い物ではあったけれど「この場所を守るために頑張ろう」と、仕事への張り合いさえ生まれてくる。ローン返さないと。


さあ、この相棒とどう生きようか。
どこまで走ろうか。


手放す時は、なんだか泣いてしまいそうな気がするなあ。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?