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私の孤独は誰より美しくなければならない。私だけの形をして私にだけ見えていればいい。

どうやらあまりにも自粛期間中引きこもりすぎているせいで、免疫力が低下して弱っている私は、この際、頭がどちくそばけもんにばか痛いせいで判断能力が大いに鈍っていることを理由に(私の脳が正常だったためしがあろうか)、数日前の個人的な日記(日記に個人的じゃないものなんてあるだろうか)を恥ずかしげもなく、公開していくので、いつも通りの遠い目で見てほしい。

受け取り手のいない量産された「さびしい」

2020/05/17 午前9時
さびしい」その4文字をそのまま伝えることがいかに陳腐か。私の感情だって要するに集約すればさびしいに当たるのだろう。だが、各自のものすごく個人的で異なるさびしいをたださびしいとだけ訳して伝えてくる相手に私は魅力を感じない。私のさびしいの処理は常に独りで秘密裏に行わなければならない。そこに他人が介入するなんて下等で下劣で邪道。私の孤独は常に誰よりも美しくなければならない。私の孤独は私だけの形をして、私にだけ見えてればいいのだ。いくら、なんか可哀想な子と野次を飛ばされても。

ふと起き抜けに、昨晩、大してそこまで距離の近くない人から、向こう側の感傷的ナイトの共有を迫られたことを、思い出して書いたものです。一言会話するたびにこいつこんなこと思っているのかよめんどくせっと思われそうですが、そうです私は敏感肌なのです。ずるむけの感受性を持ち合わせているのです。


ちなみに今日一日のハイライトを一つ上げるとすればこんな感じ。「私の頭がこんなに痛くて機能しないなんておかしい、私が賢すぎるがゆえに微調整しようとしているのかこの世界は。」なんて中二病患者がそのまま進化して大きくなった私は、風邪に圧倒されながらも余っている力を振り絞ってほざくも、案の定、いつも通りに家族に一蹴りされて終わる。

カフェは閉店しゲストハウスは休業中で、絶賛ほぼ無職無収入の状態が既に1ヶ月を越え、最初から存在しない労働意欲が更になくなってしまい、大学四年にもなるのに就職や将来に対する焦りや不安すらも感じない段階に突入している(なんだか文章を書くという行為が現実逃避に近いものになってきている)。

労働の圧倒的拒否を行って生きていきたい。もちろん、権利や社会的地位は他者と、いや強者人間並に有しながら(もう人間を生きるだけで十分な労働なのにさらにこのシステムを回すための労働を強いるというのか、こんなことを言えばじゃあお前が出ていけば?と言われてしまいそうだ。)。そんなこの社会でほぼほぼ成り立たないであろう願望を持ちながら、私は今日もこの世界に存在している。コンサルにアドバイスを仰げば、まずは優先順位を決めろと言われそうな案件だが、私はこれを両立させてはじめて意味を持つのだ。よくよく振り返ってみると、私のフラストレーションは強欲にも複数のことを同時に満たそうとするからうまく行かず、その複数事象を同時に成り立たせることを許容しない社会に苛立ち、時には、その社会を当たり前だと捉えその中で生きている人間にすらも理解できないという独りよがりな感情を勝手に感じるのだ。ここまで来ると開き直って、だって全ての条件揃わないと息しにくいんだもんとでも、無鉄砲に言っておこう。どこまでも大人になれない愚かな人間だ(大人になるとは?という中二病真っ盛りな疑問が出てきそうだが一旦抑えて)。

折り合い、その4文字を知らぬのか。でも安心しろ。不遇な子になりきり、自分を不適合視(社会に対して(あれれそもそも社会ってなんだ、適合すべきは何になのだ))という名の特別視するのは代表的中二病の症状であると同時に、世界にまだ染まっていない若者の使命であるのだ。愛すべき病だ。中二病の発症こそ、チートせずに真面目に生きている証拠なのだ。まぁ残酷なことに、何食わぬ顔でチートしてそこに罪悪感を感じず前だけを見て要領よく生きるほうが無駄で無意味な遠回りをせずにすむ気もするが(無駄が悪いとも無意味が悪いとも言ってない)。もうわしにはよくわからん。

風邪を引いてしんどいとほざくわりには、ここまで書き連ねる元気は十分持て余してるじゃないか。そう思われているに違いないし、私自身もそう思う。解熱剤を複数回飲むも39度超えの熱が再発してる日々を送っているのだ、熱にも慣れてくる、許せぇ。2週間前にも同じ症状の風邪を引いたので、早速病院に行き、いくつか検査するも、病名は出ずなのだ。うぅ。

ではではでは、冒頭で前置きした本題の日記の内容は、全体の1割程度しか占めませんでしたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。またね〜♪

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。