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観察日記979

観察日記979
おはようございます。
「しんがりの思想」を読書中です✋

・戦後社会の高度成長期には、未来は白紙だと、多くの人々が思うことができた
・いま、私たちは未来のいくつかの〈限界〉の方から考えるしかなくなっている
・2008年を境に人口減少
 ・「右肩下がり」、縮小社会への途を歩みだした
・時代をとらえるセンスが、30代半ば(2015年の本なので今の40歳ぐらい)あたりで、ほとんど通訳不可能な形で入れ替わっているのではないだろうか
 ・しばらく前(2000年代)まで10代のひとたちの間で、「何もかも、見えちゃっている」という言葉が流行る
 ・ほとんど想像がつくレールに乗った人生
 ・だったらそのレールを乗る前の今“いま”という時間を大切にしたい
 ・人生、これ以降はさえなくなる一方、少なくともよくはならない、という感覚
  ・戦後の高度成長期から高度消費社会の時代を10代で送った世代の感覚とは正反対
 ・現代の約40歳以下の人はこれまでの人生で一度も「右肩上がり」を体感したことがないことになる
  ・「明日は今日よりもっとひどくなるかもしれない」という感覚の方がはるかにリアルな世代
・「右肩上がりの世代」
・明治以降、太平洋戦争時を除き、日本は基本的にずっと成長曲線を描く
 ・特に戦後は、復興から高度成長(戦争特需、つまり他国の「悲劇」)、高度消費、バブルと急激な右肩上がり
 ・この急カーブの右肩上がりの時代に生まれ育った人々(60~70代)が、日本の政治や経済界の中心
・この世代や「団塊」の世代にとって、自分が成長するということは親の世代を超えるということと同義
・「団塊」とその後に続く世代
 ・現在の社会の上辺を占めている
 ・未来世代を憂うことの最も少ない世代ではないだろうか?
・高度成長の時代に青少年期を過ごした世代には、どんな問題も技術の進歩によって次の世代には解決されるという感覚が骨の髄までしみこむ
 ・この好況の多くが他国の「悲劇」に負うことは意識に上ることはなかった
・他国の「悲劇」とともに意識から外れた、「未来世代の運命」
 ・江戸時代のような低収入の定常社会に生まれた人たちは、孫の世代、ひ孫の世代が飢えないよう、日ごろから何かにつけて未来に備えておくのが当たり前だった
 ・「儲けられるときに儲けすぎてはいけまへんえ」(京都の商家)
  ・儲けすぎればかえって商売の手を拡げ、将来持ちこたえられなくなる
 ・ずっと右肩上がりの中で育ってきた世代は、難題に直面しても次の世代が何とかするだろうと思い込む
  ・いま自分たちなりに精一杯がんばっておけば、いずれ次の世代がどうにかするだろうという感覚
 ・同じように、次の世代が経済を回すための需要を「経済成長」の名で先食いしようとしている
  ・大規模な公共事業
 ・さらに、自然を修復不能なまでに壊したまま次世代に手渡そうとしている
 ・未来世代の暮らしにあまりに鞏固でネガティブな枠をはめてしまったという事実に、心底、呻吟しているようには見えない
 ・現時点で思いつくありとあらゆる方策を講じておけば、あとは続く世代が何とかするだろう、という感覚
(「右肩上がり」を知らない世代の登場)

本日は今年最初のお茶会です👍
その前にバイクで走ってきます(笑)

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