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観察日記1085
観察日記1085
おはようございます。
西洋哲学史をまとめ中です✋
・いくら絶対確実ではあっても自分の存在だけでは何もはじめることはできない
・諸物や数学的真理など、かつて疑いうるとされたものも、やはり存在するものとされる
・その拠り所は、わたしにはっきり(明証的に)知りうること
・目の前の懐中電灯は、曖昧にとか、漠然に見えているわけではなく、はっきり、残りくまなく見えているので、その存在は疑いえない
・はっきり「見えている」すべてが存在しているとは言えない
・デカルトは、はっきり見えているものの存在を確保するために「神の誠実」を導入する
・「神の存在証明」
・神は、もっとも完全なもの
・神は完全な善、完全な知、完全な力をもつ
・また、非存在は存在に比べて不完全であり、それは完全なものとしての神には相応しくない
・ゆえに、神は存在する
・これは「神の存在論的証明」とよび、後にカントによって誤りとされる
・「神の誠実」
・神が存在し、完全な善であるなら、わたしを欺くはずはない
・ゆえに、明証的に知りうるものの存在は、神の誠実によって確保される
・懐疑前と後の世界のとらえ方
(1)懐疑前
・わたしは世界のうちのさまざまなもの(両親、食料、気候など)の「おかげで」存在するもの
・わたしはその世界の内部にいて、世界が存在してから後に生まれたことになる
(2)懐疑後
・わたしの存在が確実なものとされたのは、世界のうちのありとあらゆる存在者が不確実なものとして斥けられた後
・わたしは世界というものがなくても存在しうる
・わたしがはっきり明証的に見いだしたからこそ、世界の中のさまざまなものは存在していると言える
・わたしは世界の外に、それに先立って存在している
・世界の諸物は、わたしのおかげで、わたしが明証的に見いだしたがゆえに存在している
・「主観・客観図式」
・ありとあらゆる存在の根底には、わたし(自我)という主観が基底として存在し、すべては自我にとっての存在、その認識対象、思考対象である
・この図式は誰にとっても成り立つ
・デカルトと同じように、確実なものを求め、疑いうるかどうかによって、確かと言えないものを排除していく方法にしたがうかぎり、どんな人にでも同じ操作は行え、だれでも同じ結果にたどり着くはず
・デカルトの懐疑は、万人が実行可能な「方法」
(主観・客観の図式)
『哲学マップ』からです。
昨日は鳥取県の左下の方にある金持(かもち)神社に行ってまりました。
以前からすごい名前だなと気になっていたのと、日帰りツーリング(個人的に無給油という意味で)の限界に近いだろう場所だったので決めました。
往復350kmでしたが、愛機がすこぶる快調に走ってくれて通算燃費も3.0L/100km(33km/L)の壁を破り2.9L/100kmになりました。
(これまでの通算なので昨日だけで見たら35km/Lぐらいはいっていると思います)
初の300kmオーバーで9時-19時の行程だったのでルーティン化していたランニングはやりませんでした😅
でも、体力的にはいけそうな気がしたので、次300kmオーバーのときは早く出発して夕方ぐらいに帰宅し、ランニングも試してみたいと思います👍
(↓未定)
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