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観察日記683

観察日記683
おはようございます。
「はじめてのフッサール」を読書中です✋

「講義5」解説
・これまでの講義の大まとめ(大きく以下3つ)
①「音」(例:メロディ)を聴くという知覚体験を取り上げ、内省によってその「時間的構造」を洞察。
②「本質所与性」(意味的なものの所与性)の明証性を確認するために、知覚体験のほかに、「カテゴリー的判断」(範疇的作用)「抽象概念」などについて、内省と洞察。
「想像」によっても、まったく同じように「本質所与性」が観取できる、という洞察がポイント。
この可能性が、本質学としての現象学の基礎となる。
③現象学的な認識本質論の方法の大きな総括。
〈内在意識〉の基本構造が「実的内在」→「構成的内在」という形になっている。
構成される対象の性格は、その所与性にかかっている。
内的構造において構成される「対象性」はきわめて多様だが、その構成の構造の本質観取をどこまでも行うことに、現象学の根本課題がある。
・①音の知覚体験の時間的構造
・音を聴くという知覚体験
  ・ふつう「今」の「ありありとした明証性」と見えている
  ・しかし、ここでは、「今」の知覚だけではなく過去の記憶がからまりあっている
  ・一つの「メロディ」を聴く
  ・完全に「実的なもの」というより、一種の「構成」された所与性であり「明証性」
 ・一軒の家を見る
  ・「これは一軒の家である」という判断(意味の所与)は、内在体験としては明証的
  ・しかし「これは一軒の家である」という判断は現実判断としては可疑的(超越)
 ・いま私は「このメロディを聴いている」ことを、現実の判断として可疑的だ、とはいえそうもない
  ・「これはベートーヴェンの『月光』の一部である」という判断には、「可疑性」が現れる
 ・さらに面倒な問題
 ・家の「実的な知覚」つまり白い壁、赤い屋根といった個々の知覚作用も、音の例から言うと、すでに「時間的な構成」を受けている、という点
  ・「赤い屋根を見ている」という知覚作用も、もっと短い個々の「今」に分解される
  ・フッサールのいう「実的な内在」という“根本単位”を確定することができなくなる
 ・この問題が、デリダによる現象学批判の骨格(→「あとがきにかえて」で議論)
・②「カテゴリー判断」「抽象概念」
 ・カテゴリー的な判断(「肯定と否定」「同と他」「一と多」など)
  ・一つの思考作用だが、その「所与性」も「明証性」をもっている
 ・「内在」の不可疑性(明証性)と、客観存在としての不可疑性(明証性)の区別が必要
・③「明証的なもの」は、真の意味での「明証性」とは言えない
 ・ここには大きな問題が残っているが、とりあえず現象学の方法の原則を守る
 ・どこまでも〈内在意識〉の領域の本質研究を追い詰めてゆくべし
(講義5-1)

講義としては最終章になります。
いつも通り「解説」のまとめからです。

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