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観察日記661

観察日記661
おはようございます。
「はじめてのフッサール」を読書中です✋

・「講義1」のポイント
 ・近代哲学における「認識問題」を解明すべきである、という主題の提示
・近代哲学の3主題
 ①近代社会の哲学的基礎づけ
 ②近代的人間本質論
 ③認識問題
・「主観」と「客観」の一致は論理的に確証できない
  ・近代哲学の出発点であるデカルトから、大きな難問として自覚
・大陸合理論(スピノザなど)
 ・世界の全体は合理的な推論で把握される(スピノザ、神=世界一元論)
・イギリス経験論(ヒュームなど)
 ・世界の客観的全体像は決して認識できない
 ・実在として世界が存在するということ自体、哲学的には決して根拠づけられない
・カント
 ・合理的独断論と経験論的懐疑主義を調停
 ・「物自体」の概念
 ・人間は、「経験」(=現象)の領域に限っては客観認識をもつことができる
 ・「世界それ自体」は、決して認識できない「物自体」として残される
・ヘーゲル
 ・「弁証法」でカントの認識論を再び修正
 ・世界の全体は、時間のスパンの中で見れば(認識の時間的展開のなかでは)把握可能
・マルクス
 ・「主観-客観一致」の謎は、仮象の謎にすぎない
 ・理論的には、主-客の一致は確証されない
 ・しかし現実には、われわれはリンゴを食べ、そのことでリンゴが何であるかを知る
 ・主-客の一致の理論的不可能性は、われわれの絶えざる実践行為によって乗り越えられる
 ・アイデアとしては面白いが、認識論的には近代科学の主観-客観図式の変奏形
・ニーチェ
 ・「客観それ自体」「世界それ自体」という概念を、虚妄として退ける
 ・「客観的現実」というものは全く存在しない
 ・あるのは様々な「力への意思」(生への欲望)による解釈だけ
 ・それまでの客観世界、「物自体」としての世界はたんに「カオス」
 ・客観と主観は互いに独立的に向き合っているのではなく、両行が互いに他の“相関項”としてのみ可能となっている
 ・全知としての「神」がはじめから存在しない
 ・「全知」の相関項としての「物自体」の概念は消滅
 ・この認識不可能なX(物自体とよばれるもの)は、ただ「カオス」と名づけるほかない
・フッサールの認識論は、ニーチェの認識論の上にさらにもう一つの“新しい原理”を付け加えた
 ・一切の「世界認識」を「確信の形成」としてとらえ直すという発想
(講義1解説-1)

先に「講義1」の解説をまとめてから本文に戻ります。

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