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観察日記987

観察日記987
おはようございます。
「しんがりの思想」を読書中です✋

・「われわれは公民として病みかつ貧しかった」(1931,柳田)
 ・その声は、日本社会が近代化の途をたどるその初期段階ですでにあった
・福澤諭吉
 ・政府の文明化政策の目をみはる成果に凭れかかり、次第に依存体質になって行く民の姿を憂い、「私立」(民間の独立)の必要を呼びかける
 ・新政府はよくやっているが、国民は依存体質のままだというところに対する憂い
 ・国民こそ本来この国の権限の源であるはずなのに、国民は相変わらず政府を拝んでいる
 ・「独立の気力」がないと民心はますます「無気無力」の依存的な存在になっていくことを憂いた
 ・国家は人民が起こした商社のようなものであって、そこでは国民は「商社の主人」(政府をつくり委託する、約束する)であり、かつ「商社の客」(恩恵に浴する)である
 ・普段は「客」であってよいが、もし政府の命令が信用できないもの、被害を及ぼすものとなれば、忌憚なく議論し、政府の間違いを突いて、民権を回復すべき(「主」に戻る)
 ・福澤は、施政の当事者だけでなく、市民自身の力量を問うている
・普天間移設をめぐる出来事
 ・鳩山由紀夫元総理が約束した「県外移設」の撤廃を、メディアはこぞって「失態」と厳しく批判
 ・だがそこに、対案はなかった
 ・メディアだけでなく、どの政治団体も、この国もマジョリティを説得できるような対案を提示できなかった
  ・やり方がまずいとしか言わなかったし、言えなかった
 ・「抑止力」の別の構図が提示できない、基地を自分たちの地域で引き受けると言い出せない、「民意」の反発を恐れて他の移設候補地を具体的に上げることができない
 ・メディア、国民はいら立ちを首相の「無能」に向けが、そのことで自らの「無能」から眼を逸らさせようとしているのではないか
  ・首相糾弾の厳しさは、自己の無能ぶりから眼を背けたいという、人々の密かな願望の強さを逆証明していたのではないか
  ・もしそうであれば、鳩山元首相は皮肉にもまさに「国民」の象徴であったことになる
・政治的なものへの距離の取り方
 ・2009年の政権交代
  ・旧来の政治のあり方がごそっと変わるのではないかとの期待が込められていた
  ・この事態は、市民にも、政治に対しこれまでとは異なる関わり方を模索するよう要請するものであったといえよう
  ・市民の社会行動が活発になってくると、政治意識の高い人々と、政治というステージに乗ることを拒む人々とに2分されそうなものだが、そうはならなかった
  ・政治意識を持っていると主観的には思いながらも、行動の形は従来と何も変わっていない、中間の人たちばかりが増えたのでは
   ・メディアが報じる(編集された)情報や政治談議をそのまま反復し、もっとちゃんとやれと憤る人々
   ・政治の別のあり方を提案し、それを自らも部分的に担ってゆくという発想は乏しい
  ・人々に求められていたのは、政治というサービスの消費者(顧客)としての振る舞いではなく、社会を担う、受け身ではない「市民」としての振る舞いではなかったのか
  ・政治家に「おまかせ」で、そのサービスに文句をつけるだけのヤマントチューに、少なくとも沖縄の人たちは「顧客」の振る舞いをしか見なかっただろう
・問われているのは、「公民」としての私たち「市民」の力量
 ・「右肩下がり」の時代は、社会が“まとも”になってゆくためには悪いことではない
 ・右に下がってゆく時代には何を最初にあきらめるべきかを考えざるを得ない
  ・絶対に手放してはならないもの、あればよいけどなくてもよいもの、端的になくてもよいもの、絶対にあってはならないもの
  ・これらの優先順位をいやでもつねに頭に入れつつ、社会運営にあたらねばならない
  ・こうした社会的判断を下し、それに基づいて行動する力量を、わたしたち「市民」はいまどれほど持っているか?
(市民の力量が問われている)

『メディアが報じる(編集された)情報や政治談議をそのまま反復し、もっとちゃんとやれと憤る人々。政治の別のあり方を提案し、それを自らも部分的に担ってゆくという発想は乏しい』
提案については自分もまだまだです。
どのような社会構造がいいのかについては仲間内で話し合ったりもしますが、なかなか難しい。
どのあたりに底を敷くか、どこから組み立てていけばいいかを模索しています。

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