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観察日記1082

観察日記1082
おはようございます。
西洋哲学史をまとめ中です✋

・一連の議論において「神」そのものは議論の前提であったが、それがなんであるのかの説明はなかった
・トマス・アクィナス(1225-1274)
 ・「神」を積極的に規定しようとした
 ・本質と存在という区別のあり方が存在者ごとに異なる点に着目
 ・ある存在者(例としてペーパーナイフ)がもつ性質には、本質と偶有性がある
 ・偶有性
・「木製である」といった性質
  ・たまたまあるペーパーナイフに備わっていても、それがなければペーパーナイフたりえないわけではないような性質
  ・金属のペーパーナイフもあるので、「木製である」は一部のペーパーナイフが偶然に有する性質(偶有性)
 ・本質
  ・ペーパーナイフだったら必ずあてはまるもので、ペーパーナイフ以外には当てはまらないような性質
  ・「紙片を切るに十分な程度の刃をもつ道具」というぐあい
   ・「刃をもっている」だけなら他にも当てはまる
 ・トマスは、すべてのものについて、本質と偶有性を区別する
 ・さらに存在を区別しなければならないとする
  ・「かぐや姫」は「月の姫君」をその本質とするが、想像上の人物なので実際には存在しない
  ・「最大の素数」の本質は明確だが、これも存在しない
  ・「ペーパーナイフ」は「紙片を切るに十分な程度の刃をもつ道具」という本質がるばかりか、いくらでも存在している
  ・本質と存在の両方を兼ね備えるものもあり、本質ははっきりしていても存在はしないものもある
・「神」について
  ・「永遠の知性」「全知全能の存在」などといった本質を定めようとすると、かえって「神」の無限の本質が限定されてしまう
  ・何も規定しなければ、「神」という言葉が無内容になる
  ・「神」は「在りて在るもの」(旧約聖書)
   ・存在することをその本質とする
  ・トマスは、通常の存在者においては区別される本質と存在が神の場合には区別されず、存在することをその本質とするものが「神」であるとした
 ・この「神」の考えの射程はトマスが思った以上に大きかった
  ・神の本質を存在に限定するなら、神を知性的存在と決めつける必要もない
  ・神は、普遍的合理性に拘束されることすらない
  ・神が世界を創造したのも、神がそれを欲したからにすぎず、何らかの必然性があったわけではない
  ・神の創造に必然性がないのなら、作られた世界や人間にもまた、何らかの必然的・普遍的秩序は及ばない
・ドゥンス・スコトゥス(1265-1308)
 ・各個人においては知性よりも自由な決断、自由意志こそが重要
 ・各人はそれぞれユニークな本質である「個体性」をもつ
・オッカムのウィリアム(1280/90頃-1349)
・各存在者がそれぞれ異なるとすれば、普遍的原理からの演繹より、個物や固体を観察し、それぞれの個体的本質を見て取る機能的実験が重要になる
 ・個体はすべてユニークであって、他の何ものとも共通点をもたない
 ・人間などの普遍的本質は存在せず、あるのは「人間」という名前だけ、という「唯名論」がふたたび唱えられる
 ・「存在は必要なく増やしてはならない」(節約の原理・オッカムの剃刀)
・このような考えは、知的世界の秩序を根底から転換
 ・神が純然たる自由意志の存在であるとすれば、それを知的に分析しようとする神学は矛盾した企て
 ・信仰と学問ははっきり区別しなければならない
 ・学問は、天上の神ではなく、地上の自然現象に関する観察や実験に限定すべき
 ・知と信の分離は、学問のキリスト教会の制限から自由な発展を可能にする

『哲学マップ』からです。

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