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観察日記1418

観察日記1418
おはようようございます。
『〈現実〉とは何か』をまとめ中です✋

■「私」という語の特異性
・「私」という語の機能は、何かを「固定する」ことではない
 ・「私」というとき、この語はある個体を固定的に指示しない
 ・「私」と言ったとたん、われわれは「私」たちの無限に開かれた置き換え可能性のなかに自分自身を置く
 ・「私」とは「点」ではなく「矢印」であり「自然変換」
  ・ある視点から見るということは、1つの関手の生成
  ・視点の転換とは、関手から関手への変換(自然変換)
 ・「私」という語はそれが用いられるときには必ず絶えざる視点の天安とともに用いられている
  ・無数の「他の私」が想定されている
  ・「私」自身はこの置き換え可能性のなかで自分自身を理解している
 ・置き換え可能性はそれだけで抽象的に存在することはできない
  ・つねにある比類のない個体的なもの、置き換え不可能なものに即して開かれている
  ・「私」というのは自然変換に他ならないが、つねにある個体的で具体的な関手の実現に即してしかありえない
・主体相互の置き換えができることが大人になること
 ・多くの場合子どもは最初から「私」や「僕」ということはなく、固有名で自分を呼ぶことから始める
 ・固有名で自分を呼ぶことは、しばしば幼さを感じさせる
  ・ある種の自己中心性を感じさせるからかもしれない
 ・「私」という言葉を使えば、「置き換えができます」という自己表示になる
 ・「私」という言葉を使っているだけで、自らの社会性を暗黙のうちにアピールすることができる
  ・置き換え可能性としての成員の平等性・対等性を含む社会性への参入を宣言しているといってよい
 ・子どもを教育していく過程でいろいろなしつけがなされるが、その要になるのが置き換え可能性のなかに身を置くことができるように子どもを導いていくこと
・「他の人にこんなことをしてはだめ」と叱るとき、どうしてダメなのかを説明する際には、「自分がされたらどう思う?」といった仕方で説いて聞かせることになるだろう
・これは自分の快を基準にして行為の良し悪しを測るような態度につながらないだろうか?
・おそらくそうはならない
 ・「自分がされたらどう思う?」の核心にあるのは、固定的に捉えられた個人ではなく、置き換え可能性そのもの
  ・自分と他人を置き換えることができるという可能性に想像を及ぼすことが求められている
  ・「倫理」の基礎にある原理の少なくとも1つではないだろうか
(「私」-「自己」の問題)

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