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観察日記1079

観察日記1079
おはようございます。
西洋哲学史をまとめ中です✋

■ピュロン(B.C.365頃~B.C.270頃)、ティモン(B.C.320頃~B.C.230頃)
・教説をもつこと自体を否定し、そのことによって「心の平静」を得ようとする
・事物について真の認識を得ることは、感覚によっても理性によっても不可能
 ・感覚は、事物が私たちの前に現れるように示すだけで、その〈ありのまま=本質〉を示すことはできない
 ・理性的認識は、あらかじめできあいの概念によってなされるものである以上、事象の〈あるがまま=本質〉を把握することはできない
・判断を停止する
 ・私たちは何ごとについても「こうだ」と断定することはできない
 ・せいぜい「私にはこう思われる」と言いうるだけ
 ・大切なことは真理を得ようと躍起になることではなく、それがとうてい認識しえないものであることをきちんと自覚し、何事にも無関心、無頓着でいること
 ・人はことの「真偽」や「善悪」について思い悩み、そのために心を煩わされることがなくなる
 ・「判断の停止」(エポケー)は、「心の平静」をえるための精神のくふうとして、われわれの前に登場してくる
・私たちが現実の生活において絶えず決断や選択を迫られるのもまた確かなこと
 ・よって、懐疑論はその後、時代をおうごとに知識や認識の不確実性・独断性を語ることへと力点を移す
・懐疑論の要点
 ・確実な認識は存在しえない
  ①見解の相違の指摘
・哲学者たちの見解は様々で、結局何とでも主張できる
  ②認識における主観と事物との相対性の指摘
   ・すべての事物はうけとる主観の状態や他の事物との関係性によって異なって現れる
  ③論証の不可能性の指摘
   ・無理に論証しようとすると、その理由を求めて、いまだ証明されていない前提を立てるか、無限背進するか、循環論法に陥らざるをえない
・“懐疑”(スケプシス)
・もともとギリシャ語で「探求」を意味
・あらゆる哲学が既存の知識や認識の前提をまず疑ってみることから始まり、そのはてに“疑いえないもの”を見出したことを思うとき、方法としての懐疑は今後も重要な意味を持ち続ける
(〈疑ってみる〉ことと〈信じてみる〉こと)

『はじめての哲学史』からです。

(↓未定)
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