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観察日記676

観察日記676
おはようございます。
「はじめてのフッサール」を読書中です✋

・講義3の中心
・「絶対的所与性」(第一の認識)は、個的な意識作用(コギタチオ)だけと思えるかもしれないが、それに伴う様々な「意味性」の所与も「絶対的所与性」
・現象学の方法は学問的洞察として矛盾をはらんでいる、という批判への反駁
・現象学の方法への批判に対するフッサールの反批判
 ・一般的には、学問的妥当性をもつ認識、客観的認識は、認識と対象の「的中」を前提にしている(主-客一致)
 ・現象学的還元は、初めに「主-客一致」を否定
  ・ここには学問的に妥当といえるどんな認識もないのでは、という批判
 ・フッサールの反駁
  ・〈内在意識〉の洞察は、そこでの事態の“直接の”洞察、原的な(オリジナルな)洞察
  ・外的「客観」との一致といったことが問題にならない
 ・確かにそのとおりだが、一般の読者に十分説得的だろうか?
 ・ふつうの考えでの認識の正しさ
  ・主観の中でつくられた「対象の認識」が「客観対象」と一致しているかが問題
 ・現象学の方法
  ・〈内在意識〉においてこの対象の確信像が構成されるその構造を直接“見て取り”、記述する(本質記述)
  ・なのでこの認識(観取)が外的な「客観」と「一致」するかどうかを問題にする必要がない
 ・〈内在意識〉を内省して、その洞察を記述する。それはもう絶対的に妥当だといえるだろうか?
 ・ほかの人が果たして同意するかどうか、他の人の現象学的内省の洞察と「一致」するかどうか、このことは確かめられなくてはならない
  ・そうしないとあくまで「主観的洞察」(主観的確信)にとどまる
 ・現象学の弱点は、自分の内的な反省が必ず他人のそれと「同一」であると根拠なく思い込んでいる点にある、という批判
 ・が、この批判も有効ではない
 ・意識の「構造」を現象学的に観取するとは、「意識」のありようを“ありのままに”記述することではない
  ・そもそも「意識」のありようはアナログ
  ・そのまま記述することはできない
  ・記述の仕方も人によって違ってくる
 ・〈内在意識〉を現象学的に洞察するということ
  ・「対象確信の構成の構造」を観取するということ
  ・“他人にとっても必ずそうなっているはずの「構造」を取り出す”、ということが含まれている
・「内省された意識」は「反省される以前の意識」とは違うから、現象学的な内省は、〈内在意識〉を正しくとらえることはできない、という批判
・この批判も的外れ
・「あることがらそれ自体」という観念を純粋なものと考える「本体論者」(=それ自体のものがある)がよくやる批判
  ・どんなものもそれ自体が把握されるには、一定の反省作用、対象化作用が必要
  ・反省によって対象化されたものが“他人のそれと同じ「構造」をもつといえるかどうかが問題”
  ・それが「もとのものと同じかどうか」は全く問題ではない
(講義3-1)

本日より「講義3」です。まずは解説のまとめから。

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