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「恐怖症」とは生き物の本能からきているもの

怖くてどうしても一歩を踏み出せないレベルの「恐怖症」を何か持っていますか?

先日母親と出かけた際に恐怖症のことについて考える機会があったので、今回はそのことについて話したいと思います。


恐怖症

先日、母親とロープウェーに5分ほど乗ったのですが「下を見てはいけない...」「上を見る側の席に座る...」「大丈夫かな乗れるかな...」などと言って怖がっていました。

いわゆる高所恐怖症です。

そういえば、友達に関しても80%くらいは高所恐怖症の人が私のまわりには揃っているので、雪山に登った瞬間から震えていたり、リフトに乗るのが怖いと言っている姿を見てきました。

一方で私は小さい頃から高いところは大丈夫な方なので、高いところに行くと手を貸す役ばかりにまわっているような気がします。

高所恐怖症は、恐怖症の中でも最も一般的な症状であると思います。


なぜ恐怖を感じるのか?

恐怖を感じる=生き物として本能的に危険を察知しているものだと思っています。

例えば高所恐怖症であれば「落ちたらどうしよう」と思ってしまい、
落ちたら死ぬということを生き物として察知している
ため、自分が意識していなくても本能的に恐れているのではないでしょうか。

例えば猫は高いところへ登って行きますが、これは6~7メートル程度の高さであれば降りても着地できるということを本能的に把握しているから高いところへ登って行くわけであって、犬に関しては人間と同じで高いところからジャンプしても着地することはできないために、高所へはあまり登って行かない生き物なのだと思います。


私自身の恐怖症

ここでも何度かお話ししたと思いますが、私は白をベースに赤と黒の斑模様が入ったものが苦手です。

名前を書くと関連記事がサムネイル画像と共にここに表示されるかもしれないので書きませんが、その色彩バランスを持った生き物がいますよね。
あの生き物だけは、いくら国を象徴する生き物とされていても怖くて慣れません。

白をベースに赤と黒についてはピエロと同じ配色なので(※ピエロ恐怖症が存在する)似たようなイメージなのではないかと思っています。

なぜ恐怖を感じるのかと言うと、無意識のうちに赤い部分が「血」に見えてしまっているのかもしれません。


サイコパスと関連付けてみた

どのような人間を見ても一切怖がらなければ微動だにもしなかった友達が泣いていたという話を、ふと思い出しました。

学生の頃は教師に椅子を投げつけられようが、誰かに暴力をふるわれようが、早々の事では泣かないと思っていたのだが、この社長に目の前で罵倒された際には泣いていた
参考⇒ サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話【第二章】

そしてもう一文。

生き物として本能的に“自分が逃げることだけ”を考えなければなりません。
参考⇒ サイコパスから逃げる方法・対処方法

自分で書いておきながら、この一文が決定打となりました。

おそらく私も友達も、
サイ〇パスと関わっていく中で生まれてこの方見たことがない異常な人物に対して、危険を察知していたのではないかと思いました。

きっと人は人に対してでも恐怖症を抱く可能性があって、
危険を察知したのであれば逃げるべきである
とあらためて考えました。

逃げることを考えられているうちは、まだ
自分自身に生き物としての心がある
ということだと思います。

高所恐怖症や何かを見て恐怖を感じる恐怖症とは異なり、同じ人間から受け取る恐怖は、経験したことがない人間にはいくら話しても知らないこととして受け取られてしまい話が通じないので、
自分が「逃げよう」と思ったのであれば、逃げるべきだと思います。

これを逃げずに我慢していると、それこそ「対人恐怖症」を引き起こしたり、「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)としてあらわれると思うので要注意です。


今回は「恐怖症」について調べもせず、思ったこと、感じたことのみを話したので、専門家の方から見ると間違っている部分もあるかもしれません。






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