見出し画像

セラピストを志すに至るまで


⁡はじめまして、
【温熱 careサロンPOKAPOKA】
オーナーセラピストのPOKAPOKAと申します。

『あったかくて柔らかなからだに』   ⁡

それは、私自身が本来の姿を取り戻したい…という願いも込められています。

自己紹介として、セラピストを志すに至るまでの経緯を綴っておこうと思います。⁡⁡

祖母に背中を押され、関西から仕事を探しに上京。結婚、出産後は、0歳から子供を預けてフルタイム。⁡どうせ働くのなら!と社内公募で手を挙げて全社プロジェクトの旗振り役に着任。⁡

初めての全社イベントの企画運営、社内広報のお仕事。様々な事務局を複数兼任、部署や役職をまたぐ社内調整などうまくいかない事が多く何度も何度も悔しくて泣いていました。⁡

社内広報のお仕事は、インナーコミュニケーションなどの社員向けの企画イベントなどが多くいくら頑張ってもすぐには成果が目に見えない仕事。

売り上げが立たないセクションという事もあり周囲の目を気にする事も多かった。

成果が見えにくい仕事内容という事も相まって自分に自信が持てず、自己肯定感は低くそれを補おうと更に無理して頑張っていたように思います。

結果、週末には起き上がれない事も多く、いつも疲れ果てていました。

年齢を重ねる毎に感じる目に見えないプレッシャー。働く事に息苦しさを感じ初めていました。

今思うと私自身が自分らしく居る場所は、此処では無いと気づき始めていたように思います。
それでも食らいついていました。

人にどう思われてるのか?
今思うと本当にどうでも良いことばかりを気にしながら生きていました。

極度な緊張状態も自分から作り出し、
もがいていたようにも思います。

過酷な環境に人間関係もギスギスし始め、
体の不調も目で見える形で現れ始めました。

寝ても覚めても仕事のことばかり考えていて
脳が休まらなくて、眠れなくなり、遂にドクターストップ。

誰も求めてないし、期待もしてないのに頑張り過ぎてしまう。

要領が悪いからだと自分を卑下し、自分で自分を追い込み、楽しかったはずの仕事はいつの間にかストレスになっていきました。

息は浅く、常に緊張状態、心も体も疲弊して、硬く冷たくなっていきました。

ひどい時は手足が震えたり、指先はかじかんでいました。また長時間のデスクワークで背中がつったり、生理も明らかに異常、レバーのような塊と大量出血🩸

やがて、円形脱毛症が見つかり、胃痛、頭痛や目眩に吐き気、トイレに何度も駆け込んではマーライオンのように吐いた事もありました。

今振り返ると明らかに異常だとわかるけど当時は立ち止まる事が出来なくなっていたのです。涙

身体に起こるSOSの限界サインを無視し続けた結果、2019年に脳腫瘍が見つかりました。

その時、とどめを刺されたように感じました。
10万人に一人が発症すると言われる脳腫瘍。

どうして私に⁉︎…と、やるせない気持ちとの病院の帰り道、マスクの下で涙を流し帰宅したのを覚えています。

術後、長時間同じ姿勢で行うデスクワークにはもう戻れないと薄々感じていましたが、

自身の状況を受け入れられず、リハビリを続けて何とか職場に戻ろうとしていました。

そんな中行った精密検査で、術後には全摘出来たと聞いていたはずの腫瘍が見つかりました。

この時ばかりは、これでもか‼️と、
2度目のトドメをくらった気がしました。

世界的な名医の先生とそのお弟子さんに執刀してもらったのに…、全敵できたって言うたたやん…、とどう受け止めたら良いのか分からず、戸惑い落ち込みました。

後に、手術をしてもらった世界的名医の先生が特集番組の中で、若い頃に行った手術の回送シーンありました。

それは、本当は取ってはいけなかった薄皮一枚まで取ってしまい、その結果患者さんが寝たきりになってしまった…との話でした。

そのシーンを見た瞬間、もし腫瘍を全摘していたら、私も寝たきりになっていたかもしれなかったんだ!、という事実を知りました。

後遺症が起こらないよう、全摘できるところを全摘して頂けたのだ✨と捉える事ができ、

その瞬間、全てが感謝に変わり、これは自身のこれまでの生き方を改めるための試練なんだと思えるようになりました。

大きな後遺症なく生還できた事に感謝して、これからは何かしら健康に関わる仕事をしたい、そして笑顔と感謝の気持ちで生きていきたい!と前向きにやりたい事を考えられるようにもなれたのです。

…とはいえ、退職を決めてからも、
ひつこく悩みしました^_^…、

都内在住、子供は私立の小学校、共働きで生計を立ててきたので仕事を辞めて本当に大丈夫???と、ギリギリまで自問自答を繰り返しました。

ですが、同じような生活に戻ると、また同じ事を繰り返してしまうような気がして、

次は、取り返しのつかない結果にもなりかねない⁉︎…、との心の声が聞こえてきて、

遂には無理して体調を崩す自分の姿まで目に浮かぶようにもなりはじめて…、(~_~;)嫌なのか⁉︎

大切なのは、『心身の健康』、
それを無くして、お金も仕事も無い、という事を判断基準に選択する事にしたのです。
 
家族も私が健康で、何より『笑顔』で楽しくいることを一番望んでくれました。

働いていた時、主人に文句ばかり言って当たり散らしていた私…。 2〜3歳の頃の息子との記憶は断片的にしかありません…。

申し訳なかったな…と感じると同時に、いつも支えてくれる『家族の存在』に改めて感謝、これまで以上に絆も深まりました。

様々な心の葛藤を経て、心身ともに健康に生きていけば、必ずなんとなくなる!と前向きに考えられるようにもなりました。

17年間お世話になった職場にも、感謝の気持ちをもって退職のご挨拶に行く事ができました。

ご心配とご迷惑ばかりかけていたにも関わらず、たくさんの方が笑顔で見送ってくれました。

私は病気を機に離れるけれど、本当にお世話になった職場。いつかご恩返しできたら良いなぁと考えながらあとにしました。

術後頭痛や眩暈に悩まされる事もありましたが、体調が良い時はリハビリも兼ねて、あらゆるレッスンに参加、民間療法もいくつもあたりました。

"自分に合う生き方"を必死に探し求めていたような気がします。そんな中、出会えたのが、#自力整体 と#温熱 careでした。

2つとも、今まで経験したことのない程の心地よいセッションで、心も身体もスッキリとして整っていくのを感じました。

特に夜眠れなくて眠剤を飲んだりする事もあったのですが、自力整体をした日の夕方には起きていられないくらい眠たくなり、薬を飲まなくても眠れるようになっていったのです。

副交感神経が優位になり、脳が休まる感覚。
目覚めた時のスッキリ感✨✨
そこから驚くほどに回復していきました。

自身が体感した効果に感動し、リハビリをしながら両方の資格を取得する事にしました。

POKAPOKAの名刺と募集チラシ

セラピストを志す事になるとは思ってもみなかったのですが、私自身が劇的に回復していったので、同じように悩む誰かにこの感動を伝えたい✨✨と強く思うようになっていたのでした。

曾祖父が漢方医、祖父も鍼灸師だったルーツから東洋医学の"ほねつぎ"屋さん、が好きだった幼少期。

ブランドバックやアクセサリーより、健康グッズを収集するのが好きだった30代。

そういえば、いつしか何かに、『癒しのマイホーム設計』✨✨と記したことがありました。

家族や縁ある人に癒しの何かを提供できるようになりたい✨✨、と思っていたように思います。

大病をきっかけに、温熱careのセラピストと自力整体のナビゲーターを志す事になりました。

手術を終えた後に決意した"生き方"を一歩ずつ確実に辿っていっていると確信しています。

きっかけを与えてくれた脳腫瘍にも、ほんの少しだけ感謝できるようになりました。

これからの人生は無理せず、笑顔で楽しく生きていこうと思っています✨

私の今の目標は、
自身の健康、家族の健康、そして縁する方々の健康の一助を担えるセラピストになる事です✨

長文を読んでくださりありがとうございました🙇‍♀️

【温熱 careサロンPOKAPOKA】



【POKAPOKA】の温熱careは特殊な温熱器を使って、熱エネルギーを全身に注ぎます。

人間のからだはエネルギーが無くなると、冷たく硬くなって、やる気も鋭気も尽きてしまいます。

温まった血液が全身を巡るとき、細胞が活性化され、心の痛みまでやわらぎます。

身体が軽くなり、目には太陽のような輝きを取り戻し、元気になります✨✨

あなたもきっと、自分らしく輝けます✨✨
【POKAPOKA】の温熱careを是非試しに来てください。



#温熱 #更年期 #冷え性 #慢性疲労 #テルミー療法 #ドームサウナ #デトックス #妊活 #産前産後 #頭痛 #脳腫瘍 #乳がん予防 #ピンクリボン #ストレス解消 #よもぎ蒸し #光線治療コーケントー #超音波トリートメント #経絡 #かっさ #免疫力アップ #代謝アップ #妊活 #自律神経 #ダイエット #更年期 #冷え性 #冷え性改善 #デトックス



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?