皮下脂肪ちゃん

27歳。男性(マセクシュアル) 生きるのが下手で、自宅の窓から飛び降りました。死…

皮下脂肪ちゃん

27歳。男性(マセクシュアル) 生きるのが下手で、自宅の窓から飛び降りました。死んだと思ったら下半身不随になって病室に居て、今は障害者施設にいます。社会復帰できるまで、頭と気持ちの整理のために日々やら過去やらを振り返ります。

最近の記事

施設への愚痴のようなもの

8月になった。なってしまった。あと3ヶ月で飛び降りてから1年が経つ。 死ぬことが許されないなら、生きている実感が欲しい。ある程度、望む通りに生かして欲しい。 そう思いながら、施設での生活が精神と時の部屋にいるかの如く長く長くゆっくりと過ぎていく。 "ある程度、望む通りに生かして欲しい"と言ったが、施設での生活の中で若干の要望を出している。 ひとつは、薬のこと。 持病の投薬で、食前薬と食後薬を服用している。朝食は自室でとっている為、薬は睡眠前に眠剤と共に渡される。

    • タイトル未設定

      日に日に私の鬱は酷くなっているようで、いまは部屋から出るのが苦痛になった。 というのも、入居している施設の職員から叔母に「職員に対してすごく冷たいというか、愛想がないというか」と一報があったらしい。 これも一度ではなく二度ほど。その都度、叔母には愛想良く振る舞えと注意されている。 できるものなら最初からしている。自分はそう評価されているのか、自分でもどうしようもないのに。そう思うと、部屋から出て施設の職員とすれ違うのすら恐ろしくなった。 他人に愛想良く振る舞うこと、思

      • 施設にきて1ヶ月

        施設で暮らし始め、2日ほど前に1ヶ月が過ぎた。 不満という不満は、隣室の男性による夜間のうめき・叫び声による寝不足ぐらい。連日に渡ってそれが起きていて、2週間ほど前から職員に相談はしているが、これといった対策はされていない。自衛の為に耳栓をしたりイヤフォンで音楽を聴くなどしているけれど、耳栓をすり抜けて声は聞こえるし、イヤフォンは充電が切れた瞬間からタイミングよく声が聞こえる。このまま続くとノイローゼになりそうではある。 もちろん他にもあると言えばあるが、全ては私が障害者に

        • 「お前、どんどん嫌な奴になってくな」

          今日も明朝3時に、隣室の男性による大きなうめき声で目を覚まし、そこから熟睡はできずぼんやりと眠った。 その間おぼろげに夢を見た。脳が眠れていない証拠なのかもしれないが、内容が私らしくて苦い気持ちになったので書き残しておく。 夢の中で私はブラッシュアップライフのように、前世の記憶を持ったまま人生をやり直していた。27年間とちょっとのしみったれた記憶と、年齢と反比例して稚拙で乏しい経験値を持って0歳から生き直している。 だが場面は急に高校時代。私は頭が悪い・素行が悪い生徒し

        施設への愚痴のようなもの

          生きろって言うなら

          脊髄損傷で下半身不随・排泄機能全廃になったのは自分の落ち度。うまく死ねなかった自分の責任である。 しかしながら、現状"無駄に生かされている"という感覚が全く抜けない。 コロナの後遺症で嗅覚も無くなった。10月まで服薬を続けて戻るかどうか、と診断され、味覚はあれど食事は一切楽しくない。香水やシャンプー、柔軟剤などの香りを楽しむ事もできない。 部屋の窓を開けて、空気の入れ替えをしようと思っても、空気が入れ替わったのかもわからない。 歩くことは元より、立つこともできないので、

          生きろって言うなら

          ただ生かされている

          メニエール病になった。内耳のリンパが増えすぎているのが原因だそうで、過度なストレス・睡眠不足が主な要因らしい。 2週間ほど前から、左耳だけ低い音の耳鳴りが一日中止まず、寝付くのにいつもの倍の時間がかかっていた。 現在は障害者施設で暮らしているのだが、隣の部屋に男性が入ってきた。その男性がちょこちょこ何時間かおきにうめき声を上げるので、なかなか寝付けない。もしくは起こされる。それも相まってほぼ昼夜逆転している。 軽いフラつきや目眩は、入院していた頃もあった。特に気分が悪くな

          ただ生かされている

          祖母への手紙

          祖母に手紙を書こうとして、もう半年以上経つ。 祖母は私が障害者になったことも知らないし、この足が永遠に動かないことも知らない。排泄も人の介助がないとままならないなんて想像もつかない。私がいまも毎日仕事に明け暮れていると思っているはず。 私が受傷したのは去年の11月なので、そこから今まで手紙を書けていない。つまり新年の挨拶すらできていないのである。 祖母も現在は施設で暮らしていて、その施設は気軽に会おうとは思えない、中々行きづらい場所にある。自家用車があることが前提のアク

          「まだ若いんだから」

          ゲイの界隈では自分の生まれ年を、年号と数字で表記する文化がある。 他の年号の例を見たことがないが、だいたい平成生まれの人間がプロフィールに明記してあることがほとんどである。私は行った事が無いが、そこが同じ物同士で集まって「H7会」など同い年の集会があったりする。 それで言うと、私は平成8年生まれなのでH8になるのだが、ついこの間プロフィールにH18と書かれた人を見た。頭が回らなかった。10歳も下の人間がスマホを介したインターネットの先にいる。18歳の大学生だと思う。真剣に恋

          「まだ若いんだから」

          あなたもこっち側だよ

          何年か前、転職すべきかどうかで悩んでいた辺りだと思う。 ある友人が「あなたはどんな手段でも、何かを表現したり発信する側に居るべき人だよ」というような事を私に言った。 私はそうなれたらいいね、となあなあで返し、会話は終わったように思う。 だが、まだ若かった事もあり、その後数日経ってからTikTokってどうあげるの?とか発信するって何をどうやって?と興味津々で聞いた気もする。 友人はエンタメに従事している、いわば"表現者"である。元々器用な人で、イラストや音楽なども得意で、い

          あなたもこっち側だよ

          「YouTuberになりなよ」

          私が産まれる前から私の家は良いことが無かった。明るい話などひとつも無かったようで、幼い頃からそんな話をよく聞いていた。 そんな中私を孕った母は精神病に悩まされ、そのケアに家族が右往左往していたという。 このままお腹の子が産まれても、幸せに生きていけるのだろうか。私はどう手助けができるのか。そう思った叔母、母の妹は占い師に「もうすぐ甥が産まれるが、この家で産まれて幸せになるにはどうしたら良いのか、どうすればこの子を守れるのか」と聞いたらしい。 我が家系の色々を聞いた上で、占

          「YouTuberになりなよ」

          「自暴自棄にならないで」と

          担当の看護師から「そう自暴自棄にならないで」と言われた。 入院して3ヶ月ぐらい経ったあたりの出来事だった。 細かく事の経緯は覚えていないが、動かなくなった足が邪魔で邪魔で。その看護師が体温やら脈やらを測りに来ている横で、ベッドに乗り移る際に自分の足を乱雑に扱ったのだと思う。 ベッドに上がるのにも、足を上げるのが面倒で仕方なかった。今でも面倒だが、その辺りの期間は少しずつ自分のできることが増え始めて、やや頭の中の整理を始めた頃。どうしてこうなったのか、自分を責めることに精を

          「自暴自棄にならないで」と

          タイトルはありません。

          どこかの国で、精神疾患・精神の苦痛を理由に尊厳死が認められたというニュースを見た。 数々の病が折り重なって、やれる事は全部やったけど、ひとつも改善に至らなかった結果として尊厳死を選択したというものだった。 それに対して尊厳死を選んだ事を思いとどまるようなコメントが相次いだとか。 その結果、当人は耐えきれず全てのSNSアカウントを削除したという。 そりゃあ唯一の逃げ場を、「死なないで」「きっと何か策がある」「明日はきっと良い日になる」と並べ立てられて潰されたらたまらない

          タイトルはありません。

          生きちゃった、という話

          昨年11月の半ば、自宅アパートの窓から飛び降りた。 その前後の記憶がなくて、思い出そうとするとドラマやアニメのように頭が痛くなる。 死ねると思ったし、確かちゃんと頭からいったはず。だから確実に逝けると思った。 結果、脊髄損傷・下半身不随になった。 脊髄の周りの神経がズタズタに切れて、股関節から下の感覚が一切無い。 一応上半身と両腕両手は動く。背中の半分は感覚が鈍いが。不幸中の幸いだね、と皆そう言う。 しかし人の手を借りないと、排泄すら今のところできない。 導尿が自分

          生きちゃった、という話

          この1年間を振り返ったら全然何も成長していなかった話

          1年というのは本当にあっという間で、新卒で入社した会社を辞めてから先月で1年経っていた。 先日、久々にそのとき同じデスクで働いていた同期と会ったので、自分を振り返ろうとnoteを書いている。 いまし方、現在の会社に欠勤の連絡をしたところでもあるので。 まず半年くらいnoteを書かなかったのは、自分のことについて考えすぎると逆に精神が鬱屈してくる…という理由だった。 今日休んじゃったし、丁度いいよね。 私の友人たちは優しいので、noteの更新待ってるよ、と言ってくれる人が

          この1年間を振り返ったら全然何も成長していなかった話

          知人に彼氏ができてしんどかった理由が分かった話

          このご時世なので、もうまる2年ほど行けていないのだが、私はスイーツバイキングで友人と「痩せたいね〜」とダイエットの話で盛り上がるあの矛盾した時間が大好きだ。 本当に食べ切れるの?というくらい並べられたスイーツ達。甘いものだけだと飽きるから、といってつい選んでしまうパスタやピザ。炭水化物ばかりとって、これじゃ一生痩せられないね!と笑い合う空間。あの矛盾に、心から安らぐときがある。 これはたぶんそういう話。 私はいわゆるセクシャルマイノリティに位置付けられる類の人間で、LG

          知人に彼氏ができてしんどかった理由が分かった話

          自分に合う仕事が分からない話

          TV番組で社会人マナー講師的な立ち位置の人が「自分にこの仕事が合わないと考えるのではなく、自分をその仕事に合わせるのが社会人なんです」と言っていた。 それを10数年前の夜に、祖母と談笑しながら流し見していた。そのせいで、どんな文脈でそのセリフが出て、どんな話が語られていたのかは全く覚えていない。きっと働けない若者とか、当時ホットな話題だった、ニートという存在に言及していたものだろうとは思う。 まだ小学生だった私は、番組の中で語られるその言葉に、司会者や雛壇に座る芸能人たち

          自分に合う仕事が分からない話