「まだ若いんだから」

ゲイの界隈では自分の生まれ年を、年号と数字で表記する文化がある。
他の年号の例を見たことがないが、だいたい平成生まれの人間がプロフィールに明記してあることがほとんどである。私は行った事が無いが、そこが同じ物同士で集まって「H7会」など同い年の集会があったりする。

それで言うと、私は平成8年生まれなのでH8になるのだが、ついこの間プロフィールにH18と書かれた人を見た。頭が回らなかった。10歳も下の人間がスマホを介したインターネットの先にいる。18歳の大学生だと思う。真剣に恋愛がしたいです!と言ったようなことを書いていた気がする。とても恐ろしくなってしまい、そっとそのページを閉じた。

なんらおかしくはない、もうその年代の若人が世に出ていているのは当たり前のことである。
しかし、それを見て恐ろしくなった自分に、相当な老いを感じた。

そうこうしていると、Twitterで「平成1桁生まれはもうジジイでしょ」というツイートが回ってきた。グサグサと突き刺された気がした。私はもう若くない。30歳をあと2年後に控えた立派なアラサーである。

そういった意見を目にしている中で、病院にいると何事も「若いんだから大丈夫よ」と言われる。体にできた傷も高齢者に比べると治りが早いとか、プッシュアップと呼ばれる車椅子の手すりを使って体を浮かせる行為も、若いからすごく体が上がる。そう褒められる度に「もう若くないですよ」と返すが「何言ってるの、20代でしょ?まだまだ若いから」と返ってくる。

事実、27歳は若いと思う。もっと言えば私より年上の、40歳や50歳の方もすごく若々しいと思う。人生これから。でもこれは"私以外"の話で、もう私自身を若いとは思えない。
生きる事が難しくて、辛くて、自分が自分でいる事に疲れた身体障害者のことを、若いとは言えない。あれだけ好きだったアイドルを見る事も、あんなに熱を持って行っていた創作も、おしゃれな大人に憧れて始めたネイルやアロマも、すべて魅力を失った状態で映る。

なんの活力も持てないただ歳が若いだけの私を、私は若いとは言えなくなった。
看護師さんも、傷の治りの早さやリハビリで行う事の習得の早さを言いたかっただけで、年齢がどうと言いたかった訳ではないのは分かる。
でも、それでも自分のことを若いとは言えなかった。

知り合いがひとり、またひとりと結婚していくように、ゲイの世界でも25歳を過ぎると、まともな人はみんなちゃんとしたパートナーを作る。法整備が整っている地域なら、パートナーシップを組んだりするカップルも出てくる。

25歳をとうにすぎ、30歳を目前にした身体障害者・セクシャルマイノリティ…何よりこのパーソナリティである。

自殺に失敗した身で恐縮だが、これ以上いい。要らない。明日をよこさないで欲しい。私に必要なのは私の終わりだけで、色々と治してもらったりリハビリをしてもらって難だが疲れた。もうこれ以上生きていたくない。

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