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どこかの国で、精神疾患・精神の苦痛を理由に尊厳死が認められたというニュースを見た。

数々の病が折り重なって、やれる事は全部やったけど、ひとつも改善に至らなかった結果として尊厳死を選択したというものだった。

それに対して尊厳死を選んだ事を思いとどまるようなコメントが相次いだとか。

その結果、当人は耐えきれず全てのSNSアカウントを削除したという。

そりゃあ唯一の逃げ場を、「死なないで」「きっと何か策がある」「明日はきっと良い日になる」と並べ立てられて潰されたらたまらない。
それに、毎日苦しみ抜いて選んだ選択を、「死を選択するなんて間違ってる」と言われたら。
途方もない無力感に苛まれるに違いない。

何より、まず私はその記事を見て、その選択を受け入れられる環境が羨ましいと思ってしまった。
どれだけの苦痛があったかは本人しか知り得ないし、尊厳死・安楽死を選ぶほど辛く苦しい毎日を過ごした事については、心から敬意を持ってお疲れ様でしたと言うしかない。

でも、辛く苦しい毎日に終わりを迎えさせてあげられる・選択できるその国の制度が羨ましいと思った。

本当に幸福な事に、私は人間関係には恵まれていると思う。
しかし持病に塗れ鬱から抜け出せず、挙句、身体障害者になった私を、友人とさせるのが申し訳ない。
私はもう、友人たちに対して何もできない。もう私は必要ない。
仮に「そんな事ないよ」と言ってくれたとしても、もう自分でそう思ってしまったからには止まらない。

人生でいちばんの親友、そう思っていた人にももう私のことは忘れて欲しい。
仲が良いと思っていたのは私だけだったのかもしれない、と思ったらもう止められなくなった。
私にできる事はもう何もない。私と友人でいるメリットが、向こうになにも無い。

どんなに苦しいときでも、差し伸べてくれる手は大事にしないとね、というようなことを昔マツコデラックスが言っていた。
気持ちはとても有難いし、心からお礼の限りを尽くしたい気持ちでいっぱいだが、もうその差し伸べられた手がどれなのかさえ分からない。

毎日理由のない不安感で押し潰されそうでいる。私も、どこかの国のように、尊厳死・安楽死を選べたら幸せだろうと思う。

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