生きろって言うなら

脊髄損傷で下半身不随・排泄機能全廃になったのは自分の落ち度。うまく死ねなかった自分の責任である。

しかしながら、現状"無駄に生かされている"という感覚が全く抜けない。

コロナの後遺症で嗅覚も無くなった。10月まで服薬を続けて戻るかどうか、と診断され、味覚はあれど食事は一切楽しくない。香水やシャンプー、柔軟剤などの香りを楽しむ事もできない。
部屋の窓を開けて、空気の入れ替えをしようと思っても、空気が入れ替わったのかもわからない。

歩くことは元より、立つこともできないので、車椅子が足代わり。ある程度車椅子の移動にも慣れてはきたが、好きに外には出られない。施設の横にゲームセンターがあるが、気晴らしに行く事もできない。完全に外に出られない訳ではないが、出られてもひとりでは出られず、訪問看護の数十分のうちに敷地内を一周できるかどうか。あとは親族や友人が面会に来たときか、通院のときだけ。なぜか人と話すのが健常者だったときの数十倍苦しくなってしまった今、とてもマイルドな牢獄にいるような気になる。

そして何よりも、人の手を借りないと排泄ができないということ。これがいちばん堪える。ストレスが溜まる。毎度死にたくなる。導尿と摘便という方法で大小両方の処置をしているが、どちらにせよ感覚が無いので、"出し切った"というのが分からない。
看護師が便をかき出している時間、私はずっと「自分は身体障害者」と唱えていないと、どうにかなりそうでいる。向こうもいくら仕事とはいえ、他人に汚物の処理をさせているという事実で、毎度狂いそうになる。

入浴も、本当はひとりで全て済ませたいが、入居者の入浴を順に回していく為にもひとりひとりの入浴時間を短くする必要がある。その為か「手伝わせてくださいね」と言って脱衣から着替えまで手伝われる。施設のサポート計画に「自身でできる事を増やす」と書かれていたし、私もそのつもりでいたのだが。仕事の邪魔はできないと思って従っている。
その際、小の方の粗相をした。スタッフが私を立たせ、もうひとりが私の下着を下ろしたところだった。幸いスタッフの手や体などにはかからなかったが、人前で粗相をする事に慣れる訳がない。私はこの世の終わりのような感覚に陥って、ごめんなさい、と言い続けていた。
スタッフは「大丈夫ですよ」とだけ言って、床を拭く。そのまま私はもうひとりのスタッフによって風呂場へ運ばれた。

頭や体を洗うのは自分でできる為、風呂場に入ってからはひとりになる。シャワーを出して音を誤魔化しながら私は泣いた。
医者もなんて中途半端なことをしてくれたんだろう。生きろというなら、全て治すべきであろうに。元通りに治せないなら、元の望み通り見殺して欲しかった。
粗相をしている感覚は全くないのに、視界には粗相をしている自分が映っている。すごく気持ちが悪くなって、しばらくそのまま動けなかった。

そしてそのまま、私は体勢を崩して風呂用の車椅子から落ち、男性職員をわざわざ呼ばれて大惨事となった。

施設の夕食は17:30には始まる。もうすぐ夕食どきだが、物が喉を通る気がしない。

「中途半端に体を治すくらいなら殺して欲しかった」という思いも、飲み込まないといけないんだろうか。

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