施設にきて1ヶ月

施設で暮らし始め、2日ほど前に1ヶ月が過ぎた。

不満という不満は、隣室の男性による夜間のうめき・叫び声による寝不足ぐらい。連日に渡ってそれが起きていて、2週間ほど前から職員に相談はしているが、これといった対策はされていない。自衛の為に耳栓をしたりイヤフォンで音楽を聴くなどしているけれど、耳栓をすり抜けて声は聞こえるし、イヤフォンは充電が切れた瞬間からタイミングよく声が聞こえる。このまま続くとノイローゼになりそうではある。
もちろん他にもあると言えばあるが、全ては私が障害者になったのが悪い。そう思うことにして己を諌めている。

前にも少しだけ書いたが、職員全員が後期高齢者を扱うように接してくるので、どんどんと自分も高齢者になっていく気がする。気が滅入る。もちろん入居者の9割が後期高齢者だし、メインの利用者層に合わせた応対が染み付いているのは当たり前だと思うけれど。日に日に自分もすっかりご高齢になったような気がしてきて、若々しい気持ちなど取り戻せるような気がしない。

この1ヶ月でいちばん身に沁みて感じているのは、自分が障害者なのだということ。何を今更、というところではあるが、受傷してから退院するまではなんとも現実味のない日々だった。すごく辛かったけれど、全てのことが足早に過ぎていった。

死ぬつもりで飛び降りて、目が覚めたら病院のベッドの上。既に手術は終わっていて、下半身の運動機能を全て失くし、排泄も己の力では全くできない。元より生きているだけで悪い夢の中にいるようだったのに、障害を背負ってさらに色濃い悪夢となって続いてしまっているようなもの。とても気分が悪い。

満足に外出もできないから、おしゃれを楽しむなんて気持ちにもならない。暇つぶしの為にネイルはするけど、あくまで暇つぶし。コスメは一通り揃っているから、しようと思えばいつでもフルメイクはできる。けど、外出できないのにメイクしたところで、何も楽しくない。同じ理由で、ヒゲも剃らなくなった。施設内で職員や入居者とすれ違うことはある。しかし後期高齢者が集まったこの建物の中で、20代後半の"男性"がメイクをしたりネイルをしたりするだけで、きっととんでもない精神異常者だと思われてしまうだろう。そうして何の施しも行わないまま、ふとエレベーターの鏡に写った私は、今まで生きてきた中でも指折りの醜さだった。

毎日ただ下着とパジャマを着替えて、決まった時間に食事をとる。それ以外の時間は、訪問看護や訪問診療が無ければ眠っているかSNSに齧り付いているか。英検の勉強や韓国語の勉強も、さわりだけやって気力を失くした。耳鼻科等、訪問診療のサポート範囲外の診察を要した場合は、外出して受診するが、あくまでも受診が目的な為コンビニさえ寄れない。

叔母には、なかなか障害者施設やその類の住居は倍率が異常なほど高く、スムーズに入居できたのは奇跡だと言われた。だが、私はできるだけ早くここを出たい。

この施設は"入居者の自立を促す"ことを第一の目的としていると聞いている。実際、入居前の説明でも、担当者がそう言っていた。「ここは終の住処ではない」とも。

しかし、叔母をはじめとした身内は、年単位で私をここに置いておきたいと言っている。叔母が面会に来たとき、少しでも早く自立したいと言ったら「少なくとも2〜3年はここに居るべきだから」と当然のことのように返された。

確かに、前述のとおり障害者が入居できる住居の類は本当に倍率が高い。施設ではなく、一般の住居となると、応募は文字通り秒殺される。

一般の住居といえど、車椅子ユーザーが入居できる住居となるとおおよそ市営住宅になるだろう。リハビリの先生は「市営住宅なら応募だけしておいて、何年か待ってから入れるかも」と言っていたが、私が住んでいる地域でも同じなのかは調べないと分からない。

そもそも、ひとりで生きていくには働かないといけない。もう外に出るのは色んな意味で恐ろしいので、リモートワークを望んでいるが、そう簡単に見つかるとは思えない。フルリモートになる前に研修は外出して出社しないといけないとか、何かきっとそういう決まりがあるのがほとんどだろう。

そして私が住む北海道には、冬という長い期間にわたって立ち塞がる障壁がある。雪道を車椅子で走行した事がないのもあって、通勤に対して不安が募っている。

身体障害者である前に鬱病であるとか、数々のことを考慮して年単位で施設暮らしを余儀なくされているのは分からないでもない。だが、自由に外出もできない、人としての生活のハリや楽しみを全て失った状態で何年もここで過ごすのは辛い。

だから早く死にたかったんだ、という気持ちだけが、助かってしまったあの日からずっと大きくなり続けている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?