生きちゃった、という話

昨年11月の半ば、自宅アパートの窓から飛び降りた。

その前後の記憶がなくて、思い出そうとするとドラマやアニメのように頭が痛くなる。
死ねると思ったし、確かちゃんと頭からいったはず。だから確実に逝けると思った。

結果、脊髄損傷・下半身不随になった。

脊髄の周りの神経がズタズタに切れて、股関節から下の感覚が一切無い。

不幸中の幸いだ!とみんな言うけれど、一応上半身と両腕両手は動く。背中の半分は感覚が鈍いが。

しかし排泄すら感覚がなく、人の手を借りないと今のところできない。
導尿が自分でできるようになれば、方法を学ばせてくれればある程度"自分で"できるのかもしれないけど。

お風呂もシャワーも自分ひとりじゃ入れないし、出来ない。シャンプーくらいはできるかもしれないけど、今のところは寝たままベッドにいて、そのままお風呂用のベッドに乗り換えさせてもらって全部やってもらっている。

申し訳ない。介護・看護してくれている人々は仕事でやっているのだ、と自分に言い聞かせているけど。

死のうとした命を、生きちゃったからという理由だけで面倒見させているこの現実がつらい。でもこんな体になりたくて、飛び降りたわけではない。

死にたかった理由は20数年ぶんある。産まれた時点で、産まれるべきではなかったのかと思うほど。

早く誰にも迷惑をかけないようになりたい。

このままでは、"生きてるだけで迷惑"を体現してしまっている。

人生でいちばんの友人に、インターネット関係などを任せてしまってさらに迷惑をかけた。

その友人の晴れ舞台を見に行けなかったのは悔いだが、もう耐えられなかった。

意識がハッキリして、2ヶ月ほど経ったらしい。以降転院したり、毎日リハビリしたりしているが、自分自身の感覚としてはそんなものだ。

親族が「傷つくから」として見せないようにしてくれた診断結果の、真ん中あたりにデカデカと"鬱病"と書かれていたのが見えた。そこだけ。

このまま、なぜ死ねなかったのかを考えながら5月か6月までの入院期間を過ごすのだと思う。

死んでなくてごめん。

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