「YouTuberになりなよ」

私が産まれる前から私の家は良いことが無かった。明るい話などひとつも無かったようで、幼い頃からそんな話をよく聞いていた。

そんな中私を孕った母は精神病に悩まされ、そのケアに家族が右往左往していたという。
このままお腹の子が産まれても、幸せに生きていけるのだろうか。私はどう手助けができるのか。そう思った叔母、母の妹は占い師に「もうすぐ甥が産まれるが、この家で産まれて幸せになるにはどうしたら良いのか、どうすればこの子を守れるのか」と聞いたらしい。

我が家系の色々を聞いた上で、占い師は「産まれてくる子しか、あなたの家系を照らせる・支えられる存在は居ない。そしてその子はあなたが守らないといけない」と叔母に伝え、叔母はそれを深く胸に刻んで今日まで生きている。

おかげで、私がこうして身体障害者になってしまった後も、叔母が様々な手続きを済ませ、諸々の献身を捧げてくれている。15年ほど前、母の軽度な虐待・母による祖母への暴力に心を病んだ私を、祖母と共に自分の家に避難させてくれたり、母と私を離そうとしてくれた。すごく手間のかかる難しい事柄だったと思うが、叔母の活躍が無ければもっと早くに命を断とうとしていたのは間違いない。本当にありがたいし、一般的な親孝行ができないのが悔しい。

しかしながら、叔母がときどき口にする言葉が、どうにも煩わしい。

「ねぇ、YouTuberになりなよ」

この他にも「芸人さんになりなよ」「歌が上手いんだから歌手はどう?」「TikTokであるあるとかやってみたら?」「良い写真を撮るし、文章も上手いんだからInstagramにそういうの上げてみない?」など様々。要するに、表だった舞台で華々しく活動できるように何か活かしてみない?というもの。

中学の同級生や友人や知り合いが、アイドルだったり芸人だったり声優だったり、私には何故かそういう縁がある。それを鑑みてなのか、私にもそうなれるタレント性があるとお考えのようで。

結論から言うと絶対に嫌なのである。

10代の頃の夢は声優だったし、20代前半まではそういったキラキラした職業にぼんやりと憧れていたのは事実である。
が、あくまでも"私の周り"が輝いていただけで、私には何も無い。綺麗な容姿も素晴らしい歌声も、滑らかなトーク術も個性的な特技も無い。それに気づいてから、私は完全に夢を見るのを止めた。夢を諦めるのだって、重要な決断だと思う。

その決断を、過去を掘り起こすようにときどき叔母からそういう提案を受ける。もちろん、叔母に悪気は無いだろうし、何か彼女の中で私にタレント性やスター性を見出してくれているのかもしれないが、私にそんな魅力は無い。

叔母が占い師とした会話を聞いたのは、去年のこと。「占い師さんがね、産まれてくる子が、あなたの家系の光だって言ってたの」だから守らなきゃって思ったんだ、と続けて言っていたが。
私にはこの家系を照らせるほどの力は無いし、その期待が重い。そう言えれば良いのだが、のらりくらりととりあえずで断っている。

身体障害者になり、車椅子が手放せなくなったいま、叔母は「車椅子で入れるお店とかを紹介するとかどう?」と下半身不随を活かした活動を提案してきた。

「申し訳ないけど、YouTubeとかSNSで何かを発信していけるほど、自分に自信ないよ」

この間、ついにそう言った。

そっか、とだけ返ってきてから、もうその話はされていない。

誰も私に期待しないで欲しい。もう私は、こんなに能力のない私という存在を全うして、全うしきって、きっと十分がんばったと思うから。

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