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自己紹介 北京大学合格まで

はじめまして!

 西村清輝と申します。自分は2016年から2020年まで北京大学の歴史学部に正規留学をしていました。留学中は北京大学日本人留学生会という組織で第十二代北京大学日本人留学生会会長を勤めさせていただきました。北京大学での留学生活や北京大学で学んだことや中国について書いていこうと思います。本ブログを通じて読者の方に自分自身や北京大学を含む中国正規留学や中国自体に興味を持っていただければ幸いです。

北京大学西門

北京大学に入学するまで

 自分は大阪出身の父親と岩手出身の母親である普通の日本人両親の下、東京で生まれ東京で育ちました。中国人のハーフでも帰国子女でもなく本当に普通の日本の一般家庭で生まれ東京の住宅街で育ち、中学受験をして都内の中高一貫校に進学をしました。
 高校を卒業してからはストレートに北京大学に入学したわけではなく、最初は上智大学外国語学部ロシア語学科に入学しました。ロシア語学科を選択した理由について軽く説明します。
小学生の頃から家族旅行で海外旅行に出かけていたこともあってか、海外への「憧れ」は同世代でも強い方でした。中学三年生の頃に学校の企画でイギリスに短期留学する機会があり、外国人との交流や外国語を使うことの楽しさを覚え、将来的には外国語を使って様々な海外の人と交流したいと思っていました。英語以外にどんな外国語だと世界の多くの人と繋がることができるのか考えたところ、アラビア語とロシア語が世界でも話者が多いことを知りました。
 その中でもロシア語に特に魅力を感じました。ロシア語はロシアだけではなく、中央アジアでも通用しヨーロッパとアジアで使われる国際性の強い外国語という事に魅力を感じたからです。もう一つはロシア語を話せる日本人が圧倒的に少ない希少性です。当時の夢は外国語をマスターして地域専門の外交官になることでしたので、ロシア語を学びつつ沢山のロシア語人材を排出している上智大学外国語学部ロシア語学科を一般受験し入学しました。
 ロシア語自体の勉強は上智大学外国語学部ロシア語学科は別名「地獄のロシア」と言われるほど勉強が忙しく大変でしたが、毎日、重い露和辞典を鞄に入れて通学し、放課後は新聞社で編集補助のアルバイト、テレビ局で学生ADのアルバイト、銀座にある紅茶一杯1500円はする観光客向けの喫茶店でアルバイトをし、週末は乗馬サークルに通っていました。
 当時の自分にとって留学とは交換留学やMBAや大学院での留学しか選択を知らず、学部から正規留学をする方法があるとは想像も出来ませんでした。

なにも考えてない幼少期(左)

自分と北京大学との出会い

 大学一年生の夏休みに、アルバイトをして貯めたお金で北京に旅行に来ました。中学生の頃に読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れて大学生になったら世界を一人で旅をすることに憧れていたことや、世界史が大好きだったので世界旅行をするなら最初は中国を旅したいと思い、初めての一人旅では一か月間をかけて中国を旅行することしました。
 旅の起点は北京を選び、世界遺産である円明園と頤和園を観光した後に、地図を見たら歩いて行けそうという理由だけで、北京大学を見学することにしました。当時の自分にとって北京大学とは中国で一番の大学であること、北京大学の学生が主体的となって五・四運動を展開したことしか北京大学の存在を知りませんでした。
 北京大学のキャンパスを訪れたところ、想像も出来ない大学の姿にとても驚きました。日本の大学にはない歴史を感じる広大なキャンパスに壮大な建物、何店舗もある理髪店や学食、集合住宅のような大学寮など大学自体が一種の自治体のように存在していたのです。
 大学としての北京大学に感動するとともに恵まれた環境で勉強できる北京大生を羨ましく思いました。本当に北京大学の存在の全てに心から感動しました。
 当時の自分は中国語は全く出来なかったのですが、北京大学のキャンパスで立ちながら英語の音読をしている中国人学生が所々いたので英語で話かけたところ自分の何倍も英語が上手であり「化学を専攻しているので大学院はアイビーリーグ(ハーバードやイェールなどの米国の大学)で高分子化学の研究をしてノーベル賞を受賞できるくらいの研究者になりたい、今は夏休みだから夏休みを利用して将来のために英語力を向上させている」とのことでした。英語が得意だと思っていた自分よりも何倍も英語が上手なこと、アメリカに留学する目標だけではなくノーベル賞を受賞できるほどの研究者になりたいという夢、夢に向けて人通りの多いキャンパスで音読をして主体的に自己研鑽をしている姿に心を打たれました。その一方で同じ夏休みなのに、専攻であるロシア語を夏休み中も勉強せずにアルバイトをしてお金を貯めて旅行をしている自分と彼のような大学生とは将来的には大きな差が広がるのではないかと少し不安になりました。機会があればグローバルレベルで大きく知識を吸収して、北京大生のような学生と切磋琢磨したいとも思いました。

歴史を感じさせる湖
北京大学のキャンパスは広すぎるので自転車で移動
とにかく広いキャンパス
北京大学にある湖「未明湖」

北京大学に短期留学

 一人旅を終えて帰国してから、機会があれば北京大学にもう一度行きたいと思っていた所、大学一年生の春休みに上智大学から北京大学に短期留学に行くプログラムがあると偶然知り、直ぐに申込をしました。上智大学代表として参加し、再び北京大学に来る機会を得ました(このプログラムを応募するには学部長と学科長の許可が必要で、自分は必死になってロシア語を勉強しました)。当時の自分は中国語は全く出来ませんでしたので、短期留学の前に参考書を買って独学で中国語を勉強し、喫茶店のアルバイトで中国人旅行者を相手に中国語会話練習をしてました。
 短期留学自体は1ヶ月の短期間でしたが北京大生と交流したり、北京大の授業を受けてみたり、北京大のロシア語学科の学生と交流をしたりしてとても有意義な体験でした。
 当時の自分の外国語力では中国語よりロシア語が得意だったので、北京大生にロシア語学科の学生を紹介して貰い、ロシア語で中国人学生と会話をしたところ、同じ学年にもかかわらず自分の何倍もロシア語が上手で、北京大生に「なんで同じくらいロシア語を勉強しているのに、そんなに話せないの?」とまで言われて驚きました。よくよく話を聞いてみると、上智のロシア語学科で使用するテキストと北京大学のロシア語学科で使用するテキストは全く同じで、上智の三倍の進度で学習したそうです。そして、ロシア語学科の学生は「ロシア語を勉強して将来的には中央アジアと中国を結びつけるような政治家になりたい。だからロシア語だけではなく将来の為に英語も日本語も勉強している」とのことでした。率直なところ彼女が勉強した日本語力の方が自分のロシア語力よりもレベルが高いと感じるほどでした。この学生のストイックさと視座の高さには大きな衝撃を受けました。

北京大学でも使っていたロシア語の教科書の中国語版

北京大学受験へ

 短期留学を終えても自分が北京大学にあまりにも惚れ込んだので、なんとしてでも北京大学でまた勉強したい気持ちが湧き出てきました。優秀な北京大生と一緒に時間を過ごして、お互いに切磋琢磨したい。グローバルレベルで優秀な人ともっと交流したい気持ちが日に日に募って来ました。上智の先生にも「西村君は北京大学に短期留学に行ってから本当に目がキラキラしていると教職員の間で話題になっている。本当に北京大に短期留学に行って良かったね」と言われるほどでした。
 北京大に行きたい気持ちがあまりにも強かったので北京大学で再度留学する為にどうすればいいか、色々と方法を調べました。北京大学を卒業した大学教授が大阪にいることをネットで見つけたので大阪まで会いに行き相談をしたところ自分の理想とする形は上智大学を卒業してから北京大学の大学院に進学することではなく学部に再入学することがベストであるとの結論に至りました。
 その為、自分は一年間上智大学を休学し、北京大学合格を目指して北京に渡航して留学生入試に備えて受験勉強をすることにしました。当時の上智の先生に事情を相談したところ、北京大学受験に際し、所属する上智大学外国語学部の教授複数人から推薦状を書いていただけたので、とても感謝しています。
 北京大学に入る為には留学生試験を突破する必要があり数学、中国史、漢文の知識が必要でしたが日本の大学受験と同じような問題が結構あり、そこまで苦労はしませんでした。
 しかし一番のネックは中国語でした。当時の自分はHSK5級程の中国語力(英検で例えると3級)しかありませんでした。留学生試験の過去問を見ても正直なところ難しすぎて全体の1割程しか理解できなかったほどです。
留学試験準備当初も中国語のレベル別のクラスで7クラス中、下から2番目に振り分けられ、自分の目標と実力の差に愕然としました。今思い返すと恥ずかしいのですが、上智の第二外国語は上位クラスに振り分けられ中国語が出来ると思っていたのと、銀座の喫茶店でのアルバイトを通じて中国人旅行者に中国語が上手いと褒められることが多かったので、自分は中国語の基礎が出来ていると思っていたからです。そもそも北京大を受験する留学生はシンガポール人やマレーシア人やカナダ系中国人など、そもそも中国にバックグランドがある人が多く、自分のように両親が完全に日本人で20才を超えてから中国語を新たに勉強して北京大に挑戦すること自体がマイノリティなことでした。

 北京大学を受験しに大学を休学してまで来たことをなんとしてでも後悔のないようにしたい、なんとしてでも北京大学に入りたい、仮にダメだとしても自分が後悔のないように努力と挑戦をしたい。だから自分のあらゆる時間と精神と体力を限界まで使い込んで勉強する決意が出来ました。
具体的な方法としては毎日、朝4時半に起床して朝ごはんを食べながら寮の門番さんに新聞を音読して発音矯正をしていただき、朝8時に中国語の授業にいって15時まで勉強し、放課後は数学や作文対策の補習塾に通い、その後は図書館で勉強をしていました。22時の図書館閉館後は24時間営業の喫茶店で夜2時まで勉強するという生活を繰り返しました。移動中も入浴中も全てリスニング、トイレでも音読、本当に毎日22時間は勉強していました。中国語がネイティブレベルの留学生や先生にも「あなたは中国語が全然出来ないから北京大なんて夢見ない方がいいよ。全世界の華人や中学高校で中国の現地校に通っていた外国人が北京大の留学生試験に挑戦するんだから、そもそも20才を超えて中国語を勉強する時点で無理だよ」と真顔で説得されて、泣きそうになったことも何度もありました。
 人生で一番勉強したのは間違いなくこの一年間でした。ただひたすら本当に北京大学に入りたい、北京大学に入って優秀な北京大生と切磋琢磨したい一心で勉強しました。

 結果としては第一志望の北京大学歴史学部に合格をしました。合格をしたというより、運よく合格をいただけました。
 合格発表時は日本に帰国していたのですが、朝起きたら携帯のメッセージで先生や同じ北京大学受験生の留学生の友達から「北京大学合格おめでとう!」のメッセージが届いていたことで合格を知りました。本当に心から人生で一番嬉しかった瞬間です。数日経つと国際郵便で北京大学の入学許可証が送られて来て本当に合格したんだなと実感しました。
 日本を出国して北京大学の入学手続きで学費を支払おうととした際に、学費の必要納入金額が0元と表示されていたので、留学生担当の大学職員に「なにかの間違いじゃないですか?」と聞いたところ、「西村さんは北京大学の上位合格者に入っているのと、北京大学に入るのに物凄い努力している日本人留学生がいると大学職員の間で話題になっていたので、あなたを北京市の奨学金に推薦しました。これからも北京大学の日本人留学生の誇りとなれるように頑張ってください。北京大学で学んだことを日本の発展のため、そして機会があれば日本と中国のために活用できるような人材になってください。北京大学があなたを価値のある人物と判断したのは、成績が良かったからだけではありません。あなたは10代後半まで日本で普通の日本人として、日本の教育を受け日本の文化や習慣を背景に生きてきた。その文化的背景を持ったあなたが、北京大学で学ぶということが私たちにとって何よりも貴重なのです。あなたは将来日本と中国をバックボーンにしたバイカルチャーな人物として世界で活躍することが期待できる。北京大学はそういうあなたの経歴に価値を見ているのです」

日本から来た21歳の若造に、北京大学が期待してくれている。 私に中国人の真似をしろと言っているのではなく、日本人としての誇りとカルチャーをもって北京大で学べと言ってくれている。この言葉に私は感動しました。憧れの北京大学に合格をいただけるだけでも御の字なのに、学費免除の奨学金をいただけたことはこの上ない喜びでした。

北京大学の合格通知(入学許可証)
北京大学入学後の高みを目指して「カモメのジョナサン」と一緒に撮影


北京市外国留学生奨学金の名簿に掲載

北京大学歴史学部に入学

 念願だった北京大学歴史学部に入学したのですが、北京大学での生活は予想以上に大変でした。むしろ留学生試験の受験勉強の方が簡単な方でした。
そもそも自分の中国語はネイティブではないというハンディーキャップに加えて専攻の勉強が大変という事です。「歴史が好き」と自負して選んだ歴史学部ですが、自分が好きな歴史はアマチュアにも及ばないという事を思い知らされました。センター試験で日本史、世界史満点、模試で名前掲載といったレベルで「歴史が好き」と言った自分を少し後悔しました。自分はただの歴史愛好家に過ぎなかったのです。例えば高校で使う世界史の教科書では3ページで説明が終わっている北京原人から始皇帝までの中国史は歴史学部で使う教科書で80ページにも渡り説明されています。
 自分の強みは「カメの努力」だと思ったのですが、北京大学の学生は「努力するウサギ」ばかりでした。更に北京大学では入学して成績が不良でも簡単に退学になるので、退学の恐怖とも戦う必要がありました。単位を取得できても全科目の平均成績が一定点数以下だと警告、二回目の警告は退学でした。一緒に北京大学を受験して合格したものの一年や二年で退学になる留学生も少なくはなかったです。

 勉強は本当に大変でしたが、北京大学は知識を吸収する面においては日本の大学よりは比べ物にならないくらい充実していました。本当に期待と理想通りでした。好きなことを好きな場所で追求することが出来たからかもしれません。神様に感謝です。

北京大学の授業風景①
北京大学の授業風景②

最後に

 自分はロシア語学科から北京大学に再入学した変人で、中国語でいう「学覇(勉強が得意な人)」でもなく、結果としては運が良かったとも思います。人より人生を遠回りした部分もあるかもしれませんが、全く後悔はしていません。なぜなら自分の好きな事を探求できる場所を進んでいった結果が今の状態だからです。大学を卒業した今でも自分の選択に後悔はなく、北京大学に留学したからこそ視野が広がったことが多いからです。これについてはまたお話させていただきたいと思います。
再见(ザイジェン)!


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