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健康的な人間関係には、常にお互い評価しあう、評価制度的なものが必要だと思うって話

私が今のところ一生出来そうにないことはデジタルデトックスです!
最近SNSに沢山笑顔にさせてもらっているのですが、
特に繰り返し見ているのが、
・ヘアカラーをおまかせで!と美容師に頼んで、目開けたらめっちゃきれいなシルバーとブラックのバレイヤージュになってて「か…かっこよすぎる!」とおおはしゃぎして「自分に惚れ直した」と大喜びしてるイケオジ。
(バズってるみたいなので見たことある人もいそうです)
・個人的な思い出作りのための韓国VLOGで、「ここのアートメイク最高」とか「ここのタッカンマリまた食べたい」とか思い出を楽しそうにまとめてる女子大生。
この2つやばいです、
人が大はしゃぎしている姿はいいですね。
私の全身の血のめぐりが良くなっていくのを感じます笑


このnoteでは、昨日、パートナーと喧嘩しましたことを通して、人間関係を続けていくことのメリットを感じたということについて書きます!
前提、我々はほぼ喧嘩をすることがなく、言い争いが年に数回あるかなくらいです。
なので、喧嘩というのはかなり珍しい出来事でした。

喧嘩のトピックは、私の態度が「人をバカにしている」ものだと捉えられたためです。
私は遠回しな物言いや、「察して」みたいな物言いが苦手です。
ある程度だったら配慮して読み取ろうと努力しますが、
あまりにも回りくどい言い方で話が展開していくと、自動相槌機になってしまいます。
で、昨日のパートナーの話しぶりはまさにそれで、「一体何が言いてえんだ?」という私のイライラに触れてしまったのです。

そのため、「それってつまり君はどう思ったの?」「結論何なの?」を連発してしまい、
パートナーが話すのを辞めて、「人のこと馬鹿にしてんの?」とキレてきた、ということです。


元はと言えば、私は新しい職場で慣れない中、リモートワークから出社になって毎朝早くに電車通勤してストレスのかかる日々を過ごしているパートナーをねぎらうつもりで、
「新しい職場はどう?」
と話題を振ったのでした。
それなのに、結果、彼を怒らせ、悲しませてしまいました。

以前も、私のものを聞く態度が酷い、人をバカにしているようだ、
という理由で喧嘩に発展した記憶がありました。
なので、私は人と話す時、
決して人をバカにしているなどということはしていないですし、(しかし他人にそう思われるなら私の伝え方なんてゴミです)そんな風に思われるのは非常に心外だという気持ちで、一層気をつけるようにしておりました。
しかしながら、昨日は散々な結果になってしまいましたので、
慌てて家中のクッキーだのアイスだのかき集めて彼に許しを乞うたのですが、「いやまじで無理」みたいな感じだったので
そちらがその気であれば一旦ここは頭を冷やしましょう
ということで、別室に避難した次第でした。
(その後もう一度お菓子を持って謝ったところ、許しを得ることが出来ました、感情を追い払うには時間も必要ということも同時に再確認出来ました)

この出来事を通して、
この喧嘩は、人間関係を続けてきたことへのご褒美だ、
と感じました。

というのも、そもそもこの喧嘩が起きたのは、我々の気のおけない仲の良さが少なからず影響していると思うのです。
私はそもそも会社での顔、社会で生活する時の顔(外出時の顔)、親しい人と過ごす時の顔など、顔を使い分けていると自覚しています。
おそらく、今回パートナーから得た反応は、会社や外出時の私では起き得なかったことです。
もしカフェの店員さんにやっても「何この客きしょいな」で終わりだと思いますし、
会社でやっても「もうこいつに関わらんとこ」みたいに自分の評価下げて終わりだと思うんです。
私がよそ行きの顔の時ではやらない、親しき仲にも礼儀ありを軽視した結果、今回のような喧嘩が起きた、というのは一つの理由としてあると思います。

また、関係の希薄な人からは、自分の悪いところや、意図せず人を不快にさせてしまっている点を聞き出すことは難しいでしょう。
パートナーの心が私の方向に向いていたからこそ、今回の喧嘩が起きたのだと私は思います。

人間関係をきちんと築いてきて、
親しい
と言える人がいる私だからこそ、今回のような学びがあった、と思いましたので、人間関係を築く努力をしてきたことのご褒美だと感じました。

最後に、私の理想とする人間関係を築くために、評価制度は欠かせない、ということを書きたいです。
前提、私の理想とする人間関係とは大まかには、フラットであり、その人間関係に対してお互いが前向きである状態です。
先ほど会社の顔をしている時、人を不快にさせてばかりいると会社での評価が下がる(つまり仕事がしにくくなる)ということを書きました。
個人的な人間関係もそれと同じだと思っていて、
人の無礼は許してはならないし、自分の無礼も許されてはならないと思います。
そのため、「自分はいつも評価されている」「あなたをいつも評価している」という姿勢は大切だと思うのです。
例えばいくら実の親でも、私に対してリスペクトが無ければ私もそれなりの評価を下し、関係レベルを下げますし、
いつも自分に尽くしてくれる人(何かを与えるという形で愛情表現をしてくれる人)に対して私が礼節を欠き、王座であぐらをかくような態度を取っていたら相手が見放すということは想像し易いでしょう。
お互い評価されるべきだし、するべきだと思います。
そして、離れた方が良いと判断すれば離れればいいですし、まだ努力する気が二人にあるのであれば、ここより先にどんな面白いことが待ち受けているか、二人で見に行ったらいいと思います。
また、離れたとしても、お互いが生きてさえいればいくらでも会えるわけです。
そして、離れたいと片方が思えば、二度と会わないということも可能なわけです。
人間が人間であり続ける限り、死があるので人間関係はどうせ有限です。
永遠なんて存在しないので、うまくいかない時があっても、生きていれば改められる日が来るでしょう。(自分次第ですが)
ということで、私はパートナーとこれからもヘルシーな人間関係を築き、その先に何があるのかに人生をかけて冒険していきたいと思っていますので、今回の事件を経て、自分を改めていきたい次第です。

あ、最後に、この間人生で初めての経験をしました!
人生で一番集中した約15分を過ごしました。
PS5のテトリスの、最終ステージがめっちゃ難しかったのですが、
それをクリアするまで寝ないと決めた日、
集中してそのステージをやっていたら、
いつのまにか脳内にメンソールっぽいものを感じて、世界が無音に感じられました。
(まじで終わった後、禿げたのかと思って髪の毛確認しました)
集中しすぎて、本気でトリップしていました、、いやまじですごい体験をしました。
そのせいか知りませんが、次の日熱出ました。
PS5のテトリスやばいです、まじでやばい。

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