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【感想】雨ニモマケズ

「銀河鉄道の父」を鑑賞したおかげで、宮沢賢治がどんな人物で、どんな人生を歩んだのかを少しだけ知ることができ、改めて彼の代表作「雨ニモマケズ」の詩を読みたくなった。

授業で宮沢賢治について学び、何度か作品に触れる機会はあったが、特に印象に残ることもなく過ごしてきた学生時代。

「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治が亡くなってから、広く世に広まった作品。でも、彼の遺作のメモ帳に残されていたこの詩が、今世までたくさんの人々に愛され続けてきたのだから、素敵だ。

宮沢賢治は、科学者であり、農業の実践者でもあった。常々、自分ではない「誰かのために」を考えて生きていたようだ。「まわり(農民、岩手の花巻の人たち、すごく広く言えば世界)が幸福であって初めて、自分が幸福を得られる」そして、そのFOR YOU精神こそ、彼が理想とする「人としての在り方」だった。そんな彼の信念がこの「雨ニモマケズ」そのものに込められている。そんな背景を胸に留めて改めてこの詩を読んでみると、謙虚で自己犠牲の精神を持った彼らしさあふれるこの作品に、心打たれる。

この作品からは、こうありたい(理想)けど、そうあれない(現実)、その葛藤に苦しみ、でもそれでも繰り返し自分に問うて問うて問い続け、万人の幸せを願う賢治の、実直さが伝わってくる。

どんなに苦しい状況下でも、自分のことだけを考えるのではなく、常に、自分ではない誰かを思いやって生きていく彼のような精神は、なかなか実践できるものではない。
私もそうありたいと心では思っていても、現実は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまう日々だ。

相手ファーストの精神でいることは、中々に難しい。

普段の生活においても、言葉は目に見えないからこそ、そのものが持つ威力というのは計り知れない。時として人を傷つけることもあるが、言葉がその意味を発揮すべきは、自身を鼓舞させ、誰かを救う時であってほしい。

彼が、生涯もがき苦しみ、自身の葛藤をしたためた詩(言葉)が、今もこうして誰かの心の中で生き続け、光となり、励みとなり、道標となっているように。

「言葉」があるこの時代に生まれてきたからこそ、相手には言葉で伝えたい。自分にとって、大切な相手ならなおさら、感謝の気持ちやその人の魅力を、言葉にのせて伝えたい。

嬉しい時、苦しい時、心にそっと寄り添ってくれるのは、過去に自分が誰かから受け取った「言葉」だったりする。「言葉」にもまた、命があり、生き続けているんだと、そう思う。過去の偉人の言葉が今世まで語り継がれ、誰かの心に残っているように。

これからも生きていく限り、私はたくさんの言葉を受け取るだろう。そして私自身がまた、誰かに言葉を渡すこともあるかもしれない。

もし、自分が発した言葉が、誰かのほんのいっとき、一瞬の救いになったら、それはとても嬉しいことだ。

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