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コーヒー日記⑬;読書フロー
『本には読む順番がある』
なんて言われたりもします。
ですが、わたしはあまりそのような意識はせず、読みたい本を”乱読”してきました。
2024年1月。
友人に紹介された本をきっかけに、読む順番の大切さといいますが、「このタイミング、この順番で読んで本当に良かったな」と思える読書体験ができました。
この記事では、備忘録として2024年1月に読んだ本の流れ、「読書フロー」をごくごく簡単に記したいと思います。
単に一つの本を紹介するより、そのフローを紹介することで読者の楽しさを感じてもらえるのではないかと思います。
2024年1月に読んだ本(リンク)
この月読んだ本の中で、「読書フロー」として取り上げたい本は以下のとおりです。
斎藤幸平著 『人新世の資本論』
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斎藤幸平+松本卓也編 『コモンの「自治」論』
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松村圭一郎著 『うしろめたさの人類学』
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近内悠太著 『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』
どのような「フロー」だったか
人新世の資本論
まず、『人新世の資本論』。
これは、友人の紹介です。
紹介といっても、「この本読んでみて!」と言われたわけではありません。
友人とは同じ職場なので、昼休みに読んでいるのを見かけたのです。
自然と、本を貸し借りし合う関係ができていました。
で、読んでみた。
とても良い。良いというのは、読んだあとでわたしの思考、行動が(わたしの中では)明らかに「変わった」からです。
どう変わったかというと、「コモン」を意識するようになった。
この本を読むまで全く意識していなかったのだから、それだけでも大きな「変化」です。
資本主義は、自らのために「人工的希少性」を生み出す。だからこそ、潤沢さこそが資本主義の天敵なのである。
そして、潤沢さを回復するための方法が、<コモン>の再建である。そう、資本主義を乗り越えて、「ラディカルな潤沢さ」を二一世紀に実現するのは、<コモン>なのだ。
そんなわけで、「コモン」に関する本を読んでみたいと思いました。
コモンの「自治」論
コモンに関する事例が豊富に書いてあります。
「コモンの再生」の具体案を考えるのにうってつけの本です。
ですが、わたしがこの本を読んで一番興味深いなと思ったのは、「コモンの再生」ではなくて、「コモンの想像」でした。
店で生まれる自律的でありながらも、他者に配慮する関係性。それは地域や組織や自然資源といった、すでにある「コモン」を維持管理するための「自治」ではありません。町のなかの小さな場所を自分たちの守るべき「コモン」だと思える人たちが集うことで生まれる「自治」です。
この一節は、人類学者 松村圭一郎の言葉です。
たしかに、地域だったり公共サービスなどのコモンを再生するのって、結構個人だと難しいけど、「自分たちが守るべきコモン」なら身近にもきっとあるし、それはわたしたちの想像力にもかかっている。
俄然、この先生の本を読んでみたくなります。
うしろめたさの人類学
この本は、わたしたちの行動でいかにして社会を変えるか、人類学的な視点で分かりやすく述べられています(本書では単に人類学ではなくて構築人類学と述べています)。
ぼくたちは、どうやって社会を構築しているのか?
いったいどうしたら、その社会を構築しなおせるのか?
そのポイントは、「スキマ」と「贈与」です。
市場と国家のただなかに、自分たちの手で社会をつくるスキマを見つける。関係を解消させる市場での商品交換に関係をつくりだす贈与を割り込ませることで、感情あるれる人のつながりを生み出す。その人間関係が過剰になれば、国や市場のサービスを介して関係をリセットする。自分たちのあたりまえを支えていた枠組みを、自分たちの手で揺さぶる。それがぼくらにはできる。
そして、この2つのキーワードから、以前から気になっていた本を読んでみようと思い立ちました。
世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学
ちょーベタかもしれないけど、読んでみて、身の回りの人、モノに感謝したいと思いました。
そして実際、しました。
贈与という、一見すると硬そうで、めんどくさそうな概念。
みんなはこの概念をどれくらい理解しているでしょうか。
もちろん、ただモノをあげればいい、親切にすればいいってことじゃない。
前提として、贈与を受け取っているという感覚が自身にないと、贈与は失敗します。
そして贈与を受け取っているという感覚には、「想像力」がいります。
交換の理論は、対価や金銭的見返りだけでなく、その交換の「意味」を、今すぐ今ここで求めます。自身の贈与の意味をその場で回収しようとするのです。
これは明らかに認知的な失敗です。
他者への影響は極めて小さいかもしれませんが、ゼロではありません。
無力と微力は違うはずなのに、微力は無力と見なされてしまう。
だから、これは想像力の問題なのです。
想像力が無ければ、贈与に関して認知的に失敗する。
僕らは受取人としてのポジションからゲームを始めるのです。
だとすれば、贈与において最大の関心事は「どうすれば贈与を受け取ることができるのか?」という問いに集約されます。
受取人においては、贈与は過去の中にあるのでした。ですが、もちろん「過去そのもの」はもはや存在しません。
だから、そこには想像力が要請されます。
贈与は差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。
これは本書の贈与論において、決定的に重要な主張です。
また、この本の贈与の定義によると、『人新世の資本論』を紹介してくれた友人はきっと贈与の差出人です。
贈与は、差出人にとっては受け渡しが未来時制であり、受取人にとっては受け取りが過去時制になる。
贈与は未来にあると同時に過去にある。
わたしは彼からの贈与を受け取った。正確には、本を貸してもらった時点では、本は受け取りましたが「贈与」としては受け取っていません。
『世界は贈与でできている』を読むことで、あとになって(過去時制的に)、「あぁこれって贈与だったんだな」と気づいた時点で、彼からの贈与を受け取ることができました。
2024年1月から始まった読書フローは、こうして回帰したのでした。
でも、もちろんこのことは読書フローの「終わり」を意味しないし、もっといえば『人新世の資本論』も読書フローの「始まり」ではなかったのだと思います。
わたしはこれまで多くの人と出会い、本と出合ってきました。
そうして、このタイミングで『人新世の資本論』に、贈与という形で出会ったからこそ、これほど感動し、思考・行動が変化したのです。
読書フローは、輪郭がはっきりとしないずっと前から「始まって」いました。
そしてこれからも、このフローは終わらない。
贈与を受け取ったのだから、今度はわたしがメッセンジャーとしてつないでいく。
「コモン」を再生するにしろ、創造するにしろ、その根底にはきっと「贈与」がある。
わたしは現在、本職の傍らで小さなカフェを営業しています。
そこで地道に、「コモン」を広めていこうと活動しています。
そしてこのnoteでも、こうしたわたしの想いが、少しでも伝わるといいなと思い、ゆる~く書き続けています。
「いつかきっと、届くといいな」という、祈りを込めて。
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なお、今回紹介した本の中で個人的に刺さった個所は、以下の記事に載せています。
購入を検討している方は是非参考にしてみてください♪
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