もしも願い事が叶うなら、わたしは何を願うのだろうか?今日の写真は鮭とマグロのかまを焼きました。
もしも願い事が叶うのならわたしは何を願うのでしょうか?
「願い」とは、他人に依存することです。「望む」は自分の力で叶えることです。自分の力で叶えることができないことを願うのです。
「長生きしたい」「幸せになりたい」と思ったら自分の力で叶えることができます。死ぬ日を自分で決める事はできませんが、長生きしたと思う事はできます。幸せも同じです。他人から「不幸」だと言われても自分が「幸せ」だと思えば幸せです。
反対に他人から「幸せですね」と言われても自分が「不幸だ」と思えば不幸です。思いは自分のものです。願うことも望むこともせずに素直に感じたままを受け止めれば良いのです。
今日1日が無事、何事も無く過ごせるのならありがたい。
退屈だとか、変化が欲しいとか、変わった体験をしたいと思ってはいけません。それは、危険です。安定を望まない悪い考えです。安心は変化を望まないのです。
なぜなら、変化に対応できているから退屈だとか、変わった体験をしたいと思ってしまうのです。変化に対応できないと不安になります。不安から安心に変えるには学ぶのです。対応の仕方を学んでおくのです。
不安は学ぶきっかけです。変化は必ずあるのです。変化を望まなくてもあるのです。望む事があるとすれば、全ての変化に対する対処方法を学びたい。
願いは学ぶ事ができる環境と時間をください。
寿命には限りがあります。わたしは病気で老人です。
学ぶ姿勢を伝えたい。なぜ学ぶのかを伝えたい。
伝え続けるのに、年齢、性別、心情は関係ありません。
何を学び、何を伝えるのかを考えながら生きていきたいと望んでいます。