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道具と人間の違いは心があるか無いかです。人間らしく生きる為に自分に必要な道具を使いましょう。人は道具ではありません。道具を使うのは人です。人と道具でひと組になって仕事をするのです。今日の写真は手作り餃子
AIも量子コンピュータもそれを使う人がいなければ有っても無いなのと同じです。道具に使われているから道具は無い方が良いと思うのです。人間らしく生きる為に自分に必要な道具を使いましょう。
人は道具ではありません。道具を使うのは人間です。人間と道具で対になって仕事をするのです。
人を道具にしてはいけません。人と道具の違いは、心があるか無いかです。人から心を奪うと道具になります。道具に心を込めると人と一体化します。
人も道具も心から信頼すると一体化できるのです。
手に馴染まない、不満がある道具は使えません。道具に使われてしまっても使っていると勘違いするのです。道具に心を通わすには時間がかかるのです。気にかけて細かい部分に気を使い心が動けば行動するのです。その繰り返しが心を込めるというのです。それを抑えるとストレスになるのです。
心の赴くままに行動してその結果でまた心が動き心に従って行動するのです。その繰り返しが心を込めた行動となるのです。
それでも心が病むことがあります。
それは変化に追いつかないからです。刻々と変わる環境、他人との接点、道具との一体感が無くなって思いが通じなくなり変化についていけなくなるのです。
大丈夫、変化はあなたが感じようと感じまいと起こっているのです。
あなたが変化を起こしているのではなく変化だと感じる心が変化を作っているのです。
それを「気づき」と言います。
気づいても心が理解できていないと行動に移せません。
理解できていないことがストレスとなって現れているのです。
気づいたらそのまま受け入れます。「疑問」と気づいたらそのまま「疑問」と受け入れるのです。「疑問」には「解答」が必要です。次に行うのはその疑問に解答を求める行動を行うのです。
疑問に対して解答を得ず、そのまま納得しないで行動するのは道具になってしまっているのです。
仕事を道具になってこなすのか、人として仕事をこなすのかで仕事への意欲が異なってきます。管理者は道具を使おうとするのです。だから心を無くそうとするのです。管理者はさらに上の管理者に管理されるのです。
人は心で身体と知識を管理しているのです。心は「気づき」「疑問」「解答」を繰り返して身体と知識を利用して行動するのです。
管理者は「気づかせない」「疑問を持たせない」「解答しない」事で納得させるのです。なぜなら自分もそのように上位の管理者に納得させられているからです。
納得できなくても命令を聞く、そして実行する道具にさせられているのです。心から信頼できるのは「気づかせてくれて」「疑問を抱かせ」「解答を得る」ヒントを与えてくれる人です。
道具には心がありませんから「気づきません」「疑問を感じません」「機能」があるだけです。
道具に心を吹き込むのは人です。心を閉ざした人の心を開けるのは人です。道具に任せてはいけないのです。
「思いやり」は「気づく」「疑問」「解答」を心がける事です。
気配り、気心、思いやりなど、心を働かせることができるのは人だけです。
サービス業で店員さんがマニュアル通りに受け答えするのは道具になっているからです。自分の行いに疑問を感じたならば道具から人になる時です。
悩んで答えを得ようとしているのです。その時に自分で解答を得ることが重要です。ヒントはいくらでもあるのです。答えを得たとしてもそれが正解だとは限りません。自分が納得するまで疑問、解答、疑問と続くのです。
一生かけて「自分はなぜ生まれてきたのか」問い続けるのです。
「生まれてこなければ良かった」と思うのは疑問に対する答えを見つける事を放棄しているのです。生まれてこなければ自分はなぜ生まれてきたのかと考えなくて良くなるのです。
わたしはなぜ生まれてきたのでしょうか?noteを通じて生まれてきた理由を求めようとしています。個人個人で心があるように生まれてきた理由があるのです。