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常識も非常識もありません。そこにあるのは既成事実としての真実です。今日の写真はいつもの朝食。

常識も非常識もありません。そこにあるのは既成事実としての真実があるのです。

常識とは、ある集団において一般的に受け入れられている考え方や行動様式のことです。しかし、その集団が異なれば、常識も異なることになります。例えば、日本では食事の前に手を洗うのが常識ですが、欧米では必ずしもそうではありません。また、時代によっても常識は変化します。例えば、かつては女性が社会で活躍するのは非常識とされていましたが、今では当たり前のことです。

このように、常識とはあくまでも相対的なものです。そこには、絶対的な正しさや間違いはありません。

一方、真実とは、事実に基づいた真理のことです。真実は、時代や集団によって変わることはありません。例えば、地球が丸いという事実は、いつの時代でも真実です。

つまり、常識と真実は、全く異なる概念なのです。

「常識も非常識もありません。そこにあるのは既成事実としての真実があるのです。」という主張は、常識の相対性と真実の絶対性を指摘したものと言えるでしょう。

この主張は、以下のような意味合いを持つと考えられます。

  • ある集団においては常識とみなされていることが、別の集団においては非常識とみなされることもある。

  • 常識は時代によって変化する。

  • 真実は、常識とは異なり、絶対的な正しさや間違いがある。

この主張を受け入れれば、以下のような考え方ができるようになります。

  • 自分の常識を絶対視せず、他の集団の常識も尊重する。

  • 常識にとらわれず、新しいことに挑戦する。

  • 真実に基づいて判断し、行動する。

この主張は、現代社会においてますます重要になってきていると言えるでしょう。なぜなら、現代社会は多様化が進み、さまざまな価値観が存在するからです。そのような社会においては、自分の常識を絶対視せず、他の価値観も尊重することが求められます。また、真実に基づいて判断し、行動することがより重要になっていると言えるでしょう。

婚外子になったり、戸籍のない子になるのは本人の意思ではありません。
犯罪の被害者、加害者の子ども、宗教2世も同じく、国外に逃げて生活に困窮しても誰かが手を差し伸ばさなければ助かることは無いのです。

事実を誰にも告げることができないし、助かる方法を知ることができない情報弱者が世の中には沢山いるのです。風評は、情報弱者が発信する事実がほんの少し含まれた大部分が推測の情報です。情報の根拠を正しく伝えることができるのは情報強者です。

火のないところに煙は立たないと言われるように風評は、情報弱者の抵抗だと思うのです。ネットニュースは、その風評をそのまま流すから風評被害になるのです。本当の情報とは風評の中の事実の積み重ねを行い検証するために足を使うのです。

ネットニュースは事実を確認するために「人のネットワーク」を持つべきなのですが、確認をすることなくインターネットに流れた情報を鵜呑みにして流すのです。

人は自分の興味のある情報しか見えません、聞こえません、喋りません。
噂話には興味があっても不当に扱われている子どもに目を向けることはないのです。

親がいる、保護者がいる、社会が見守っていると信じている人が多いのです。またそれを自分の欲に利用する人々もいるのです。権力を持つと弱者救済を利用してやれ補助金や援助金や生活保護やとお金が絡んでくるとそれは、貰わなければ損などと考える人も出てくるのです。

本当に困っている人は声が出せない人です。

声が出ていないのに声を聞くことはできません。
ジャニーズ事務所の性犯罪もその時に声を出すことはできなかったと思います。後から後から後から出てきた声は小さいのです。

声に出せない声を聞くのが大人です。

#気づき #エッセイ #パンダのポッさん #御坊市 #一万個の幸せ