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意思と存在の理不尽

誰かが言った。
はらさんの"は"は、ハッセルブラッド "Hasselblad"
はらさんの"ら"は、ライカ "Leica"

そのつもりは1mmも無い(無かった)。
そもそも、普通なら買わない。
でも買わないと、死ぬまで後悔すると思った。

高額なカメラを買う時に、その正当な理由を必死で考える。
そもそも何が撮りたいのか、必死で考えた。

これらを買う論理的な理由を論理的に考え、
論理的に説明する事が論理的に無理だと、
論理的に分かって論理的に諦めた。

その時点で、その存在は理不尽でしかない。
理不尽なので、論理は通じない。

そもそも、激増した会議の中で、頭痛で頭を抱えてる中で、買ってしまおうと閃いてしまったのだから、理由を考える方が難しい。


見た目が大事だと言われて久しい。
その見た目の定義は、顔面偏差値だけとは限らない。話し方・言葉遣い・表現力・コーディネート・身につけているモノ・佇まい・品格などであるが、己の足るを知りつつ、それに上乗せする自分への投資が、その人の新たな伸び代になっていく。

"目的の達成"には、3つの条件が必要だと思う。
"意思"と"環境"と"自由"だと思う。
意思は"自由意思"、環境は"才能と努力を含んだ実現を可能にする要素"、自由は"自己の想像を実現する可能性"と勝手に定義している。

3つの掛け算で実現できない、それらではどうしようもない"論理的に説明できない"部分は"理不尽"でしかないが、現実的には数多く存在する。でも、論理的に説明できないほど、"ブランド"として説明はしやすい。今は似合わないけど、相応しい人間になる努力は、それを馴染ませてくれる。年老いて若くはないが、美容や衣服、骨盤の調整を含む体調管理や筋トレなど努力はしてきたと思う。それらの努力を通じて、カメラ含む多くの資産が自分に馴染んだ時、それに相応しい人となって価値が上がると思う。それを目指してみようかと、自分の中で目標が見えた。より高い人間になってみようじゃないかと。仕事もそれに似合う仕事をしてみたい。
そんな環境に身を置きたいと思う。

海外によく行っていたが、気がついたら1年ほど行っていない。海外に行く機会ができた時、新しい機材を駆使した自分自身の視野から、世界の中の社会の矛盾を、誰も見た事がない景色を、映画のように切り取って小説のように
映してみたい。そんな思いが血を巡らせた。


価値は他人が決めるモノ。
趣味は自己満足の世界だが、他者へ価値を提供できるなら、それは仕事になると思う。お金を儲ける事を仕事という人が多いが、価値を貨幣に変わるメカニズムを論理的に説明した経済学者を、私は一度も聞いた事がない。それだけ情緒的な世界であるなら、自分のブランド価値と自分が提供するモノを掛け合わせられれば、何らかの価値と貨幣が自分へ巡ってくるかもしれない。そんな期待値を感じたのは事実だ。

正直、カメラは日本製が最も良い。Nikon, Canon, SONY, FUJIFILMを買えば、性能的にもコスパも問題は無い。しかし、HasselbladやLeicaが何かを売りば"予約待ち"に変わり、中古の棚に入荷されれば翌日に無くなった。途中から、株のように資産運用として考えた。物価は上がるし、実際にLeicaは価格を上がったので、リセールを考えば損失は抑えられるだろうと。そんなリスク管理も考えた。


冬に父親が死んだ。
死んで分かったが、大学の先生だったのに理不尽な人だった。論理的なようで情緒的で、優しいのようでわがままで、勤勉なようで怠惰で、多趣味のような凝り性だった。
遺品になったフィルムカメラ達に、憧れだったLeicaの幻影が映る。

死ぬ半年前から、父親と話をするのが面倒だった。体調のバランスを崩していたのもあると思うが、彼は自分に良く当たってきた。勝つ見込みもない議論を吹っかけては、途中から論点を変えて説教をしてきた。そんな会話を電話で延々するのが面倒で、心配だから連絡してたのに、心が折れて会話を続けるのを諦めた。父親の死後、葬式や死後手続きをしながら、母親との会話で分かった事がある。

父親は嫉妬していた。
彼自身が目指していた事が、彼自身ではできなくて、息子ができていた事が悔しくて、納得できずに当たっていたらしいと。

ちょっと頭に来た。冗談じゃない。
あなたの言う事をどれだけ聞いて、どれだけ我慢したと思っているのですかっと。コンプレックスが多いのは分かってたけど、それを四六時中にわかって子供に押し付けなくても良いでしょう。そもそも、あなたの言う事は十分聞きました。もう義務は果たした。

それでも不満を持つ父親には不満しかないが、もう死んでしまった。
もしかしたら、その方がスッキリしたかもしれない。
彼の憧れだったLeicaの幻影が映った。


なので考えた。

拝啓、親父殿。
あなたの分まで、私は頑張って生きます。
Leicaは私が買います。あなたの自己満足以上に、誰かの価値になるように、Leicaが似合う理不尽で高貴な人間になります。だから、死んでも嫉妬してて下さい。

ついでにHasselbladも買います。
元々、私はHasselblad派です。

もっと広い世界を生きます。
人間関係も、生き方も、キャリアも変えて、好きな様に選びます。
あなたが思っている以上の人間になります。
もう遅いかもしれないけど、やれる事はやります。
だから安心して、死んでも嫉妬してて下さい。

手に入れた中古の高級な海の向こうのカメラを前にして、
痩せ細った自分の預貯金と、
豊潤な皮と肉が付く自分の体と、
積み上がる自分の年齢がある。

他人はこの3つを嘲笑う。
自分も他人ならそうかもしれないが、共感の期待値が見込めない人脈は、そろそろ不要かと思う。分かり合える人を探しても良いかもしれない。


人と違うことを選んだ時、人の上に立とうとする時、与えられる事と必要な事は総じて”孤独”と呼ばれる。孤独に断熱された狭い空間で、その高熱に苦しみながら、停滞的な低体温症に苦しめられる。

“何も変わってない”と思いながら…

その停滞が助走だと気づくのは、少し後のことだと思う。海岸の潮の満ち引きの際に沿って、海岸の端へ歩くのと変わらない。



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