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福岡市の歴史

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福岡在住の光山忠良が連載する、福岡市の過去・現在・未来。
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記事一覧

天神ビッグバンの現在地―福岡市・天神は生き返るか

天神ビッグバンの現在地―福岡市・天神は生き返るか

天神ビッグバンとは、福岡市天神地区の高層ビル建て替え計画の呼称である。天神は福岡空港から地下鉄で11分という好立地の反面、空港から近すぎて高さ規制があったものを、高島宗一郎市長が時限的に緩和、だいたい100mのビルなら建ててもいいよ、ということになった。これに乗ったディベロッパーや地権者がこぞって高層ビルを竣工、現在なんと50棟の高層ビルが建設中である。

今回は、下手な写真とともに天神地区の現在

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福岡県を代表する歴史的人物って?

福岡県を代表する歴史的人物って?

福岡県は有名人が多いとの評価を受けていますが、福岡を代表する人物って誰でしょうか。

懇意にさせていただいている歴史系noterさんは群馬県出身で、「群馬と言えば新田義貞」だそうです。即答できるのって県民にとっても幸せな気がします。
昔、熊本市の路面電車に乗って中づり広告を見たら、熊本市の三大人物といえば、加藤清正、宮本武蔵、夏目漱石とのこと。異議ありって言われそうですね。全員熊本出身者ではないで

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福岡都市計画③博多国際展示場&カンファレンスセンター

福岡都市計画③博多国際展示場&カンファレンスセンター

2019年まで7年連続で市税が過去最高を記録、人口が160万人を突破するなど、コロナまで絶好調だった福岡市。もっともコロナが起きても、土地開発の動きにブレーキはかかっていません。2021年の福岡市土地開発について、解説したいと思います。今回は博多国際展示場&カンファレンスセンターです。

MICEってなあに福岡市には一級河川がないため、これといった製造業がなく、商業の街として発展してきました。かつ

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福岡都市計画②天神ビッグバン第1号の話

福岡都市計画②天神ビッグバン第1号の話

なんか恐ろしいくらいの速度で土地開発が進む福岡市ですが、その中核となる再開発プロジェクトが「天神ビッグバン」です。天神は福岡市の中心街なのですが、ご存じの通り、福岡空港から地下鉄で10分と近接されているため、これまで高層ビルが建てられませんでした。その規制緩和に立ち上がったのが高島宗一郎市長。天神地区の航空法高さ規制に特例を設け、高層ビルへの建て替えを促したのです。その結果、現在まで実に47棟もの

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2代目に引き継がれるジャパネットの「厳選集中主義」

2代目に引き継がれるジャパネットの「厳選集中主義」

ジャパネットといえば、テレビ通販番組での商売っ気丸出しのトークと親しみやすいキャラクターで庶民を魅了した髙田明氏。しかし明氏は2015年1月に、長男の旭人氏に社長職を譲っています。旭人社長は父親には経営のことは一切相談せず、父親からは「本当になにも相談しに来ないな」と呆れられているといいます。カリスマのリーダーでありプレイヤーであったトップを失う形となったジャパネットですが、旭人氏がバトンを継いで

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著書だけで想像する、高島宗一郎・福岡市長のポリシー

著書だけで想像する、高島宗一郎・福岡市長のポリシー

ここ10年で人口は増えるは、市税収入は増えるは、地価は上がるは、ベンチャーは次々立ち上がるはと、コロナ・ショックまで絶好調だった福岡市。その立役者といわれているのが、2010年に史上最年少の36歳で就任した高島宗一郎市長です。10年前の彼のキャッチフレーズが「とりもどせ元気!とりもどせ信頼!」だったころからは隔世の感があります。

私は2019年末に故郷である福岡市に帰ってきたのですが、確かに福岡

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『ふくおか経済』から探る2021年福岡市の行方

『ふくおか経済』から探る2021年福岡市の行方

福岡に引っ越してきて丸1年、はじめて福岡県の経済誌『ふくおか経済』2021年1月号を買って読んでみました。いやあ、なかなか読み応えありますね、288ページ。産官学のトップ122人のインタビューも載っている。元業界誌記者としては、これはインタビュー形式の依頼原稿なんじゃないかなあと勘繰ったりもしますが、仮にそうだとしてもトップの公式メッセージをこれだけ集めたのはすごいし、貴重な情報です。

現在は不

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にわかの私が解説する「筑後地方」について

にわかの私が解説する「筑後地方」について

雨の日は「しるしかろう」私は生まれは福岡県糸島市ですが、中学・高校の5年間を除いては東京、札幌、高松、京都と点々としておりました。1年前、40代の半ばになってようやく家業を継ぐべく福岡市に帰ってきたので、福岡県民としては新米になります。

父母の住む実家は一駅隣になるので、時々晩ごはんを食べに行くのですが、帰る時に雨が降っていたりすると「しるしかろう」と言われます。なんのことかなと調べてみると「め

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福岡天神よ、セレンディピティの街になれ!

福岡天神よ、セレンディピティの街になれ!

天神から博多へ買い物客が流れる?福岡天神はデパートから商店街からファッションストリートから大型家電店からなんでもそろう福岡の中心街でしたが、私にとっての天神と言えば大型書店のジュンク堂福岡店でした。西日本最大級の140万冊という品ぞろえ、19年という短い間でしたが、東京から遠く離れた福岡でも東京なみの文化的生活が送れたのは、ひとえにジュンク堂のおかげだったと思います。
そのジュンク堂福岡店がくだん

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田中吉政―ふたつの水都を結ぶ線

田中吉政―ふたつの水都を結ぶ線

西鉄天神大牟田線の福岡天神から柳川まで40分の距離を、「水都」という特別電車が走っている。文字通り柳川は有明海から引いた水路を巡らせた水の都だ。

柳川の大名といえばみな立花宗茂を連想する。実は福岡市東区にある立花山を根城とした大友系の立花氏の当主で、福岡市にもゆかりがあるのだが、島津の大軍を立花山で食い止め、秀吉と合流して九州征伐に貢献したことから秀吉の配下となり、朝鮮出兵でも活躍、柳川を与えら

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福岡か博多か

福岡か博多か

先日の西日本新聞に「福岡市は『博多市』に名称変更すべきだ」との投書が載っており、「またかよ」と思った。この論争は400年以上続いている。

もとはといえば江戸時代初頭、歴史ある博多の西の福崎の地に、黒田長政が「福岡城」を築いたことに由来する。福岡は黒田氏ゆかりの備前の地名から付けられたもので、それまで福岡なんて地名は地元にはなかった。しかも黒田藩は博多をも福岡と名付けようとしたので博多商人の反発を

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多々良浜ってどこ?「多々良浜の戦い」の古戦場跡を歩く

多々良浜ってどこ?「多々良浜の戦い」の古戦場跡を歩く

私の南北朝時代に関する知識は児童書の域さえ超えていない。太平記の原典どころか、小説も、ドラマも、見たことがない。
おぼろげに覚えているのは、隠岐から再起を誓う後醍醐天皇とその忠臣・楠木正成くらいである。いったいどんな史観の児童書を読んでいたのだろうか。
というわけで、今回は、ろくに知りもせず、調べもしないままに、とにかく「多々良浜の戦い」の古戦場跡(福岡市東区)に行ってきた、という話である。

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広田弘毅はやはり「悲劇の宰相」だった?

広田弘毅はやはり「悲劇の宰相」だった?

はじめに福岡藩が倒幕運動に出遅れたために明治政府から排除され、福岡の人々は「福岡の乱」を起こしたり、玄洋社など在野として活動せざるを得なくなったりした経緯は再三書いたが、ちょっと雑な解釈だったかなと思わないでもない。薩長土肥においても不平士族は数多く存在し、薩摩(西南戦争)、長州(萩の乱)、肥前(佐賀の乱)と反乱を起こした。土佐の不平分子たちは板垣退助をはじめとする自由民権運動へと政争の場を移して

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廃藩置県を待たずに取り潰された福岡藩の話

廃藩置県を待たずに取り潰された福岡藩の話

幕末の福岡藩の動きがわからないというご意見をnoterさんからいただきました。今日は福岡藩の幕末・明治の動きについての話。

先日の記事で福岡藩は最後まで佐幕を貫いたと書きましたが、語弊がありました。

福岡藩は実は土佐の中岡慎太郎や坂本龍馬に先駆けて長州斡旋を行い、長州にいた尊王攘夷派公家の三条実美ら五卿を大宰府に移転させるのに成功するなど、一時期尊王攘夷運動をリードしていたのです。ところが幕府

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