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福岡か博多か

先日の西日本新聞に「福岡市は『博多市』に名称変更すべきだ」との投書が載っており、「またかよ」と思った。この論争は400年以上続いている。

もとはといえば江戸時代初頭、歴史ある博多の西の福崎の地に、黒田長政が「福岡城」を築いたことに由来する。福岡は黒田氏ゆかりの備前の地名から付けられたもので、それまで福岡なんて地名は地元にはなかった。しかも黒田藩は博多をも福岡と名付けようとしたので博多商人の反発を買ったとされる。こうして那珂川を挟んで西側が福岡部、東側が博多部という「双子都市」が誕生する。両市の交流は治安上の理由もあって限定された。

黒田氏が治める福岡藩は幕末まで続くが、明治9年に福岡部と博多部は合併して「第一区」となり、11年に「福岡区」と改称した。

明治21年、福岡区は市になることが決定し、市名を「福岡市」にするか「博多市」にするか、マスコミや住民を巻き込んで議論が沸騰する。「博多市」に落着するとみられたこの論争だが、意外にも明治22年の県令の告示は「市名福岡市」であった。
ところがこれでは収まらない。明治23年2月の市会で市名変更の動議が出て、有名な市議による投票採決が行われる。

結果はなんと賛否同数。

議長採決となり、議長は「変更すれば市としての調和を破ることとなり、よって問題を棄却する」とした。こうして明治23年4月1日に「福岡市」が誕生する。
1972年、旧博多部に「博多区」という行政区が誕生したこともあり、福岡市民は一般的に「博多」とは「博多区」を指す。「昨日、博多に行ってさあ」といえば、まあたいてい博多駅にでも買い物に行ったのかなと思う。
ところが全国的には「福岡≒博多」なので、軽率に福岡市民を指して「博多の人は」などというと、思わぬ反感を買ったりもする。一方、博多区の人は博多っ子であることに強烈なプライドを持っていたりもする。

こんなデリケートな事情を知らないで、先日、オリックスが「クロスライフ博多天神」なんてホテルを建てちゃったから福岡市民も混乱した。いったいこのホテルはどこにあるのか?博多区か?中央区の天神か?

というわけで、福岡に来る方はウェルカムですが、一応、この論争を頭の隅に入れておいてください。よく混同されがちですが、福岡と博多は微妙な関係にあるのです。

参考文献

福岡市博物館『福岡博覧』
西日本シティ銀行『博多に強くなろう、北九州に強くなろう』

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