見出し画像

佐藤弘夫氏に学ぶ「死者との対話」

▼歴史学者の佐藤弘夫氏は、日本人の「死」をめぐる意識の変化を追いかけている。その研究に興味を持ったのは、東京堂書店で『死者の花嫁 葬送と追想の列島史』(幻戯書房)という本を買った時である。

▼この美しい本を読んで、山形県の村山地方にある「ムサカリ絵馬」という文化を知った。

彼の現在の問題意識をうかがえる文章が、2018年の「學鐙」冬号に載っていた。タイトルは〈死の普遍性と多様性〉。

ムサカリ絵馬とは、〈若くして亡くなった男女の架空の婚礼姿を寺に納める〉文化である。今も続いているそうだ。筆者が驚いたのは、このムサカリ絵馬の風習は、〈江戸時代まではなかった〉、つまり「近代」以降の、新しい風習だという事実である。

▼佐藤氏が立てた「死者とその記憶について」の仮説は、〈日本列島は、死者がこの世にいてはならない時代から、いつまでもこの世にとどまる時代へと、世界観の180度の転換を経験していた。死者が匿名化する時代から、個々の名において長く記憶される時代への大規模な死生観の転換があった。〉(5頁)というものである。

彼の本を読んで、筆者は佐藤説が正しいと思うが、日本のアカデミズムにも、日本の社会にも、認められていない。「學鐙」の寄稿では、佐藤説の概要を示してくれている。

以下の文章は、「死者との対話」をキーワードにすれば、わかりやすいと思う。

▼中世までの常識だった「死者が匿名化する」とは、要するに「お墓がない」ということである。中世には、庶民の一人一人のお墓がなかったのだ。言われてみれば、見たことがない。目から鱗の指摘だった。

そこから時代が進むにつれて、いわゆる「世俗化」が進み、死者は、匿名でなくなっていく。まずは、中世から近世への変化について。適宜改行。

〈近世社会は現世のクローズアップに比例して、浄土にいる絶対的な救済者のリアリティが希薄化していく時期だった。死者の命運を全面的に委任できるようなパワフルな仏はもはや存在しなかった。

故人は仏の力によってではなく、親族・縁者が提供するケアを通じて、生前身につけていた生々しい怨念や欲望を少しずつ削ぎ落し、長い時間をかけて子孫を見守ってくれる神的存在=ご先祖様へと上昇していくと考えられた。

死者をケアする主役が中世の仏から、近世では人間へと移行するのである(佐藤弘夫『死者の花嫁』幻戯書房、2015)。〉(3-4頁)

▼上記の「中世から近世へ」の変化の指摘だけでも「言われてみればそうだ」と驚いたが、ここから先は、「近世から近代へ」の変化について、佐藤氏のこれまでの研究成果が簡潔に整理されている、お得な文章である。

死者を記憶することの意味/そのため、先祖への変身の過程で、死者が忘却されたり、その供養が中断されたりすることがあってはならなかった。それは死者を記憶し続けることの重要性が、日本列島においてはじめて大衆レベルで定着したことを意味した。

特定の人物に対する記憶の継続が、その人物の死後の命運と不可分の関係をもつ時代が到来したのである。

 日本列島では江戸時代に入ったころから、故人の戒名・法名を刻んだ墓標が普及しはじめる。死者に対する周忌供養が社会に定着し、彼岸やお盆のお墓詣りも年中行事に組み込まれた。それは死者を記憶に留めることの重要性が、社会に認知されていく過程と表裏一体の現象だった。

死者をケアする主体が救済者から人間へと移行するにつれて、死後世界の世俗化は急速に進行した。死者の安寧のイメージが、生者の願望に引きつけて解釈されるようになったのである。

 檀家制度が機能していた江戸時代には、死後の世界が完全に世俗化することはなかった。そこではまだ、死者は仏がいて蓮の花咲く浄土で、最終的な解脱を目指して修行しているというイメージが共有されていた。

しかし、明治維新を経て近代社会に入ると、死後世界から神仏の姿そのものが消えていく。死者は美しい婚礼衣装を身にまとい、冥界での衣食住に満ち足りた生活を満喫するようになる。遠野の供養絵額や山形のムサカリ絵馬は、こうした死後世界の変容の果てに生まれた習慣だったのである。〉(4頁)

▼ムサカリ絵馬の話を読むたびに、筆者の胸はしめつけられ、切ない気持ちになる。ムサカリ絵馬は、若くして亡くなった子どもたちを、神も仏もいない世の中で、愛し続ける親たちが、「それでも生きていかねばならない」親たちが生み出した、狂おしいほどの愛の結晶ではないだろうか。

こうした「匿名化する死者から記憶される死者への転換」(5頁)は、偉大な発見だと筆者は思う。佐藤氏は中世ヨーロッパとの比較などを通して、これは〈人類史がある段階で経験する普遍的な現象だったのだろうか〉と問いかけて寄稿文は終わる。

▼この佐藤氏の研究は、とても大きな「見えないもの」を問うている。それを言語化すると、たとえば「常識の生成」であり、「思想の動き」である。

その時代、その時代で「常識」は変化する。変化したら、その「常識」は忘れ去られてしまう。「常識」を「思想」と言い換えてもいい。ふだんの生活では気づかない、「無意識を支配している」ものの考え方が、思想であり、常識だ。

だからその時代の常識や思想は、なかなか意識的に明示されない。その時代の生活や文化風俗、政治や経済の記録に、その痕跡や断片を残し、時代は過ぎ去り、常識は変わり、思想は変わっていく。そして、「以前と変わった」ということ自体が忘れられてしまう。

しかし、消えてしまった常識や思想は、痕跡や断片をたどることで、炙り出せる場合がある。佐藤氏の研究はその好例といえよう。

▼ゲノム編集で赤ちゃんが生まれる時代を迎えて、「生」の常識が変われば、必然的に「死」の常識も変わる。また、東日本大震災のような災害が起きた時も、生と死の常識は変わる。

いま、日本人の死生観が激しく変化しているのだが、それはなかなか目に見えない。ただし視点を絞れば、たとえば「お墓」や「葬式」をめぐる最近のニュースを追いかけると、ぼんやりとその輪郭が見えてくる。

日本社会の死生観に何が欠けていて、何が必要なのかを考える貴重なきっかけとして、佐藤弘夫氏の研究を読むことをオススメする。気が向いた時、彼の他の論考も紹介しよう。

(2019年3月2日)

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?