移動手段と世界の大きさの話。
先日の旅行の件で、感じたことがある。
それは「世界の大きさは、人によって違うのだ」ということ。
どういうことか。
僕は自分の部屋から、なかなか出ない生活を送っている。
なので、僕の世界はウミウシとかナメクジくらいのサイズ感だと思ってくれていい。
でも弟やその奥さん、僕の彼女を始めとする車の運転に抵抗がない人たちは、僕とは世界の見え方が違うはずなのだ。
なぜなら目的地までの時間、労力、コストが違うから。
実際の世界の大きさは、変わらないというのに。
僕はペーパードライバー歴10年になろうか、という筋金入りなので、もう運転席とは疎遠になってしまった。
今回の旅行でも、車を借りるという話が出た。
そこで僕が運転を申し出ると、「ぜったいやめて」と彼女に断固拒否の姿勢を突きつけられた。
そんな僕も、公園まで散歩なんか行った日には少しだけ視野が広がる。
だから例えば潜水艦なんかが家庭でも使えるようになれば、地球全体の捉え方が変わるはずだ。
食卓には深海魚が並び、週末には海底アミューズメント施設に出かけようということになる。
自家用ジェットが一家に一台、という時代が来れば、近所一体はほぼ自分の敷地同然、みたいなこともありえるかもしれない。
宇宙船がローンで買える頃になると、地球の裏側にすら日帰り旅行が成立する。そうなれば「ちょっと散歩するか」くらいの感覚で北海道や沖縄まで行ったりできる。
そうなれば人類にとっての地球の規模感はいよいよ小さくなり、一体感が世界中に広がる。隣人が手と手をとりあい、陽気に挨拶を交わし、腕を組んでステップを踏む。
しかし。
そういう時代になっても、僕の世界は変わらないことが想像できる。
なぜなら、僕はそれら最新技術を駆使することはせず、相変わらずあまり部屋から出ない生活を送ることが目に見えているからだ。
近所の人に挨拶するときは緊張するし、ゴミ出しに行くにもちゃんとした格好をしなくては、という先入観が抜けない。
そしてまたこんなじめっとした記事を投稿して、noteというサービスの品格を下げるのだろう。
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